今日書くことは、ここ5年間くらいの私の考えです。自分のキャリアステージとともに考え方が変容してきているのも事実ですから、現時点での私の考えが「正解」と思うわけでもないですし、違う考え方もずっとしてきた自分もいますし、否定するものでもありません。
組織経営において、私は「組織のパフォーマンスを最大化する」ことを目的として、個人の能力差を認め、リソースの配分をすることを、経営者のみならず職員皆が意識することが必要であると考えます。
ものすごく当たり前のことを言っているようですが、現場には前時代的な組織体制や、平等感覚を守る風土が、無自覚的に自分らの「働き方改革」の枷になっている状況がある、と思うので す。「働き方改革」というものを、本気で進めていくには、もちろん政策が必要でしょうが、現場でできることの第一歩は「一人一人の能力と、職員全体としてかかっているコストをきちんと計上する」ことです。
例えば、「会議を減らす」という取り組みがありました。日程が減らせなくとも会議にかかる時間をとにかく減らすと。で、そのために「会議資料の作成と共有」の時期が早められ、「会議資料に事前にしっかり目を通し」「会議で速やかに共通理解できるよう、質問や意見は、提案者に事前に伝えておく」といった方針がとられました。
いかがでしょうか。これって文章化して読んでみれば、おそらくほとんどの人が、「なんら働き方改革になっていない」と感じるでしょうし、「むしろ、逆行するのでは?」と感じるのではないでしょうか。まさに、「会議を減らす」ことが目的になってしまったのですね。
見た目の労働時間は減りますが、実質の労働時間が増えてしまっている可能性が高いです。この発想自体が、そもそも目に見えていないコスト=シャドウコストを計上するという考えの欠如を表しています。
組織経営には、「人材育成」が欠かせません。ですから、大きなプロジェクトを若手に任せることもあります。では、その若手のプロジェクト提案に何を求めるかということになります。キャリアを積んだ人と同じパフォーマンスを期待するのであれば、若手はより多くの時間を費やさなくてはなりません。もちろん、そのプロジェクトをサポートするリーダーやオブザーバーにとっても、育成にかかるコストが発生しています。
教育公務員は、「定額働かせ放題」と言われます。一般企業であれば、時間外勤務は残業代に直結しますから、時間コストを計上することは当たり前ですが、学校現場はそうではないのですね。職員も「過労死ライン」をはるかに超えても、それが異常であることに「愚痴をこぼす」程度で、無頓着な部分が大きいです。家に持ち帰った仕事や休日出勤したものなどは、現在勤務時間に計上されていない学校がほとんどです。
組織全体として、「誰が、何の仕事をすると、どれくらいの時間を要するのか」という視点で時間コストを計上し、総量を視覚化してみるのはいかがでしょうか。私はこれがスタートラインだと思っています。これなくして「工夫」もへったくれもないと。
若手に限らず、人には得て不得手がありますし、また知識量や技能面、判断力や交渉力など様々な能力には大きな差があります。それをまず受け止めることが大事であって、自分や人と比べて「なまけている」とか「もっとがんばってほしい」と考えるのは、無理ですし、無意味だと思います。何より、組織のパフォーマンスを個人の責任にしていくのは、一番危険なことです。
決して「みんなでゆるくやろう。」ってことではないんです。ただ、何ができるか、どこまでできるかを測ることは必要不可欠であって、理想だけを掲げたり要求されたことを是が非でも実現しなければならないと考えたりすることは、誤った目的意識につながってしまうということです。
一人ひとりが、何にどれくらいの時間をかけて仕事をしているかを知ることは、メンタリティの高い学校職員の現場ならば、互いに敬意をもつことにつながり、さらによい職場になると考えます。
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