今、22時半でして、これから日が変わるまでの間に、まともな文章を書ける気がしないのですが、教育雑感です。
情報活用能力には、さまざまな力があるわけですけれど、生成AIの発達と普及がめざましいこんにちで、ディープフェイクなどがニュースをにぎわせることで「情報を鵜呑みにしない」力が、ものすごく重要視されています。
それを疑う余地は全くありません。
しかしながら、ファクトチェックを平気で子どもに求めようとしている教師には
「気・・・気は確かか?」
と問いたくなります。
教育の情報化が大好きな人に実は多いことなんですけれど、「今の時代、〜な力が必要!」というフレーズをそれこそ鵜呑みにして、すぐにそれを子どもに適用しようとするきらいがあります。
また逆に、情報の信頼度を証明できないのだから、ネットでの調べ学習はクソだとか、子どもは安易にネットで適当なコピペしてきてちっとも勉強にならないだとか、ICTアンチな人もいます。
教育は、20年後の社会を見据えていなければ語れません。ですから、昭和や平成の頭のままで教育を行なっていることも、下手したら子どもの足をひっぱることになってしまうかもしれません。ですが、教育というのは、「描く未来像へ、足元からどうアプローチしていくかの方略」であったり、「20年後を描き創っていく原動力の鼓舞」であったりするものではないでしょうか。今のありのままの姿を受け止め、具体的なステップを示せてこそ意味がありますし、豊かに生きる姿を描かせるような伴走があってこそ意味があります。
ファクトチェック、あなたはできますか?私は自信がありません。それでも、ネットを使うことはやめませんし、知りたいことや解決したいことがあれば、真っ先にネットで調べますし、生成AIにも手伝ってもらいます。一つのサイトで縦に深掘りしていくというよりは、複数のサイトで横に広く調べていくようなスタイルです。それでもドメインを参照して「公的機関」だとか「大学の先生の発信」だとかは信頼度が高いというバイアスをもっています。でも、昨今、公的機関の情報だろうが、まちがっていたり偏っていたりするものはたくさんあります。「ネットの情報は、どこの誰が書いたかわからないから信頼度は低く、新聞記事は信頼度が高い」なんて、なんとかの一つ覚えのように口酸っぱく語る人もいますが、現実はそうでないこともあります。「信頼度が高い」なんていうのは、個別具体であって、確率みたいなものですから、「高い」=「信じてよい」でないことに気を配らなければならないでしょう。
何が言いたいかってことなんですけれど、「猛烈に活用しまくって、初めてそういう感覚って身についてくる」ということです。
人生は1度しかないので、自分の経験が万人に適用されるわけではありませんが、大人のみなさんは、子どもの頃、ちょっと聞きかじった知識をひけらかしたことありませんか?あるいは知ったかぶった経験はありませんか?私はあります。新しいことを知ると、そのことを深く理解していなくともとりあえず使ってみたくなります。また、仲のよい友達が話した知識は、大真面目に鵜呑みにして、他の人にも教えてしまったこともたくさんあります。ですから、私の世界線では「子どもってそんなもの」なんです。
もちろん、クラスの友達に「偽情報」が蔓延するのと、SNSで偽情報が拡散していくのとでは、社会的実害が天と地ほど差があることは事実です。ですが、考えるべきは「だから、ファクトチェックできない子どもは、SNS使うな」という論理が成り立つのかということです。私は成り立たないと思います。
情報という言葉で話を進めると、全てのものが一緒くたになってしまいますが、ファクトチェックとは関係のない問題もたくさんあります。昨今の問題の多くは「人権問題」ではないでしょうか。情報の確かさうんぬんよりも、「人を傷つけない言動」を考えることのできる力の方がこの場合は大事なはずです。「情報が確かならなんでも言っていい」のような風潮が、真にこの歪みを指摘しているではありませんか。
エアプで「ファクトチェック」とかいう前に、まずは「ちっともファクトチェックしていないで、いきいきと広めようとしている知識」とか、「活用したこともないのに、知ったふうな口をきいている知識」の具体に目を向けてやってはいかがでしょう。そして、すぐに止めたり、「違うよこうだよ」とマウントとったりするより、少しだけ子どもたちのやりとりをうかがってみてはいかがでしょう。「は?んなわけないじゃん!」「まじで!やべー」、、、まあいろいろというでしょうが、子どもたちのやりとりの中でも、それから情報の出所を確かめるような批判的な議論が始まることもあります。私は知ったかぶった後に、それが偽情報だと分かり恥ずかしい思いをしたことがよくありました。そういう恥ずかしい思いをする中で、徐々に学んだということもあります。
授業の中で行うなら、「いかに実行可能・再現可能なやり方を調べてこられるか」とか「自分の主張の正当性を上げる論理を組み立てられるか」といった、子どもたち自らが切実感をもった活動にあてていくことが大事だと思います。そもそもやらされ課題の調べ学習だから、やっつけ調べ学習しているなんてことが問題かもしれませんからね。
ちなみに、私が子どもの頃に、友達から聞かされて鵜呑みにした情報の一つは、「大学教授が研究して分かったらしいんだけど、トイレでうんこして拭く時のトイレットペーパーって、50枚分重ねても、少しは菌が通ってきちゃうんだって。」というものでした。50枚分重ねたものを手に持って拭くなんて、再現してみなくても想像で無理だと分かったものですが、私にはその想像力すらなかったということですね。この情報を5人以上には伝えてしまったことを、今ここに懺悔します。
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