ひな祭りの思い出といえば、子どもの頃にやっていたテレビアニメ番組「あんみつ姫」の第22話「ゲゲゲのあんみつ 妖怪ひな祭り」です。当日見たというより、次回予告を見て怖くて眠れなくなった思い出。まずなんていうアニメだったかも忘れていましたので、1980年代のテレビアニメ番組でネット検索し、あんみつ姫にたどりつき、それから「あんみつ姫 ひな祭り」で検索したら、ニコ動がヒットしました。大人になって見ればどうってことないのですけれど、子どもの頃は心底怖かった。
ひな祭りの起源は、平安時代にさかのぼるらしいです。
その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、無病息災を願う祓いの行事をしていました。陰陽師(おんみょうじ・占い師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食物を供え、また人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流すのです。
「一般社団法人 日本人形協会のHP」
また、その頃、上流の少女たちの間では“ひいな遊び”というものが行われていました。ひいなとはお人形のことです。紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまの“ままごと遊び”でしょう。このことは紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』にも見られます。
やや疑問点はあります。当時は、紙はかなり貴重なものだったのではないかということ。おそらく貴族のぜいたくな遊びだったのでしょう。貴族だけならば、分かります。では、海に流すとはいかなることでしょう。平安京に住む貴族には、海に人形を流すことはできないと思います。
「流し雛」の風習を庶民も行っていたとすると、それは紙ではなかったのではないでしょうか。とても、一般人が紙を扱っていたとは考えられません。貴族の遊びとしてあったというのは、文献からも読み取れることですが、この時代の庶民の生活についてはうかがい知るものがほとんどないと思われます。(海や川に流していたものならなおのこと)
おそらく、起源は貴族の風習や遊びであって、それから時代の経過とともに、庶民にも伝わっていったというのが一般的な考え方でしょう。江戸時代後期には、今のようなひな祭りになったとのことです。
ぎりぎりになって、我が家もひな人形を飾りました。早く仕舞わないといけないといわれるので、娘にはもうしわけないですが、早々に片付けます。桃の花は飾りませんでしたが、桜餅にひなあられを買ってきました。夕食はちらし寿司に蛤の潮汁をいただきました。美味しい〜!
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