事故の前の記憶は、職場からの帰り道。比較的まだ職場に近いあたり。子どもたちの習い事のお迎えに間に合うかぎりぎりの時間。その日の午前中は雨が降っていたので、いつものロードバイクではなかった。
事故の後、自分が気がついたのは夜中の病院で、ベッドごとエレベーターでCT検査か何かへ移動するところ。ここはどこなのか、どうして自分がここにいるのかも分からない。
2年前、私は自転車事故に遭いました。遭ったという表現が適切かどうか、判断はつきません。記憶がないのです。お医者さんからも、事故の前後の記憶は、時間が経っても戻ることはないだろうと言われました。
どうやってなのか分かりませんが、自力で家には帰宅していました。時間がおそかったのに子どものお迎えをしていない私が、血を流して帰宅して、妻はいったん冷やすものを渡し、子どもを迎えに行きました。
お迎えから帰ってからも、玄関に座り込み、娘は何歳なのかとか、自分の職場は今はどっちなのかだとかよく分からないことをずっと繰り返しつぶやいていたとのこと。さすがにこれはおかしいと119番通報をし、救急搬送されたということ。
頭を強く打ち、見当識障害になっていました。自分のことや自分の家族のこともよく分からない状態。(でも、家には帰ってこられた)夜中に意識が戻った後も、またすぐに眠りにつき、はっきり人と会話ができたのは翌朝だったと思います。お医者さんに「どうしてここにいるか分かる?」と聞かれ、「分かりません。」と答えたこと。それからお医者さんから、奥さんからどうやら自転車で事故に遭ったようだと聞かされたこと。
直後に私が考えたのは、「仕事に迷惑がかかる」でした。家族のことに頭がめぐらなかったのは、今となってみると情けないことです。当時、宿泊学習を間近に控えており、個人面談も開始しており、休む暇もないほど忙しかったところでした。当時はコロナ禍真っ只中だったこともあり、宿泊学習を引率する先生方には「いつ誰が急に欠員になるか分からない。私がいないことだってあるかもしれない。だから、一人ひとりが”自分が引率するんだ”という強い意識をもってシミュレーションしておいてほしい。」とか言い放っていました。まさかそれが言霊となってしまうとは夢にも思わず、反省と後悔の念に駆られました。
妻は仕事を休み、警察に行ってくれたり、私に荷物を届けてくれたり、私の職場に連絡してくれたり、保険屋さんに連絡してくれたりと、方々に尽くしてくれました。妻の職場の方にもたくさん迷惑をおかけしました。
私は、とにかく頭が痛く、ずっと氷嚢で冷やしてもらい、点滴やらバイタルチェックの何やらがついていました。何もできないでずっと集中治療室のベッドで横たわるだけでしたが、1日が長く感じることもなく、意識が朦朧としていたのかとにかくよく寝ました。
お医者さんには「もう少し様子見てから」と言っていただいたのですが、3日経って一般病棟に移ることができたので、費用のことも心配だったし、自宅療養に切り替えたいと、4日ほどで退院しました。
仕事は3週間くらいお休みをいただき、7月末に半日ずつリハビリのように行きました。自転車はこわくて乗れないので、徒歩で通いました。
通勤中ではありましたが、労務災害は認められませんでした。事故の瞬間の記憶がないため、どこでとか相手が誰でとか、そういうことが何も言えないし証明できなかったのです。警察にお願いして近くの防犯カメラをたくさん調べてもらったり、事故現場かもしれないあたりに立て看板を立ててもらったりしましたが、特に情報も得られませんでした。それでも事故証明を取りに行ったり、病院に診断書を書いてもらったりとできる限りのことはしました。でも、労務災害の手続き申請にはたどりつきませんでした。健康保険からは、「これは労務災害なのではないか。うちで7割支払うものではないのではないか。」とも言われました。とてもつらい思いをしましたが、事務的に言えばその通りだなとも。5日間の入院でおそらく60〜70万円かかったのです。
頭痛は、9月中旬くらいまでずっと続きました。また、メンタルがだいぶやられてしまい、頭痛のお薬の他に、心を落ち着かせる薬も処方してもらっていました。9月の連休を明けたくらいから、すっと頭痛がおさまり、急速に回復したのを覚えています。
たくさんの方に迷惑をかけましたが、得られた教訓がありました。2年経ち、またその教訓が薄れていることに気づき、今回記事にしました。忙しすぎるのは、本当に危険であるということ。子どものお迎えなど次の予定のぎりぎりまで仕事をするのはもうしない、と心に決めていたはず。
2ヶ月ちょっとリハビリに時間がかかったものの、後遺障害に悩む人生にならずに済んだのは本当に不幸中の幸いであること。家族のために、自分の安全をより一層大事にしなくてはならないこと。
あの日、いつもの自転車ではなく、午前中が雨だったために朝は合羽を着て出勤したのでヘルメットがなかった。ただ、雨だろうが雨上がりだろうが、ディスクブレーキでどうやったって滑って転倒することは考えられない。いったいどうやって事故に遭ってしまったのだろう。これは、毎日同じ道を自転車で通るたびに考えてしまう。でも、思い出すことはないのだ。今では雨の日も必ずヘルメットを着用している。
今、自分がふつうの暮らしができていることをありがたく思い、周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに、安全に気をつけて生活していこうと、改めてここに記しておきます。
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