今日は、実悠が区の水泳記録会に参加する予定で、午前中は年休をいただく予定でした。ですが、今週体調を崩していて、夏風邪が抜け切っていなかったため、水泳大会は欠席することになりました。実悠はとても残念がっていましたが、仕方ありません。
というわけで通常通り出勤したのでした。実は、7月中に職員が全員そろうのは本日が最終日でして、そして参加したかった研修があったのです。それは学校カウンセラーさんがやってくれる「傾聴訓練」です。
傾聴は、カウンセリングの用語だと、大学時代に学びました。相手の話に積極的に耳を傾け、共感的に話を聴くことと、内容によらず無条件に肯定的に聴くことだと認識しています。
子どもが話をしてきたとき、あるいは保護者との面談のときは、必ずしも傾聴ができるとは限りません。なぜならば相手には目的が存在する場合が多いからです。子どもであれば、話の中に「要求」が内在していることがあります。助けてほしい、教えてほしいなど。保護者の方との面談においては、こちらが伝えなくてはならないものもありますし、保護者の方も助言を求めている場合などいくつかの目的をお持ちのことが多くあります。問題解決要求があった場合は、そりゃ明確な答えを示したり、解決をしてあげたりした方が相手は喜ぶわけです。
ですが、いかなる場面においても「この人は私の話をしっかり受け止めてくれる」「話をしたことで、私自身、考えが少し整理された」と相手が思ってくれたら何よりじゃないですか。
今日カウンセラーさんが言った「誰にでも、聞き方には癖がある。」という言葉が、当たり前なんですけれどすごく自分のふりかえりを促してくれました。
共感的に聴くといっても、「そうそう!」「あ〜わかる!」とかを早く繰り出しているのは、正直ちっても共感されている気がしないんですよね。もしかしたら聞く人は本当に即座に理解し、自分と共通の体験を引き出しているのかもしれません。でも、話した側がそうは感じないということも大いにあります。私は早合点する人は苦手です。一呼吸おいて、「〜なんですね。」と話してくれる人には、受け止めてくれたという思いをもちます。
肯定的に聴くといっても、これもすぐに「すごーい!」「なるほど!」「そうですね!」を連発されると、受け止めてくれたというより、ただの肯定マシーンなだけで聞いてもらえた感はありません。「それは〜ということですか?」というように、理解が不十分だと思ったところを率直に聞いてくれたら、この人はわかってくれようとしているんだと感じます。
自分のことをふりかえってみて、子どもに対しては話しかけてきたときから、内在する要求を探ろうとする自分がいるなと反省しました。もちろん、職業的に大事な能力ではありますが、それが相手にも伝わるようではだめだなと思います。相手の呼吸に合わせて話を聞くことって大事。
保護者の方には、話さなければならないこともたくさんありますから難しい面もありますが、同年齢の子どもたちと比較して我が子のことで心配されることが多いという傾向を、あまり強く心算しておかない方がいいかもしれないとも思いました。
カウンセラーさんって、改めてすごい仕事だなと感じました。ある程度関係ができあがっている人との会話であれば、その人がどのような目的をもって話をしようとしているか探りやすいですが、初めてカウンセラーのところに相談にやってくる方はある程度の目的をもちつつ、ある種とってもかまえながらやってくるわけです。そういう方の心をほぐしながら、しっかり話を聴き、受け止めて、「話したことで少し前進した」という思いをもって帰られるようにしなくてはならないのですね。
私も、日頃の関係に甘えず、一回一回の子どもたちとの会話を丁寧にしていきたいと思います。同僚に対しても同じことが言えるなあ。。。
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