決まった時間に食事が出てきます。1日のどの時間に読書をしようが動画を見ようが、なんなら寝ようが自由。昼下がりにはシャワーを浴びて、その後、同じ建物内にあるコンビニで温かいコーヒーを買って、他の人に干渉されない領域でコーヒーを飲むことができます。夜21時には就寝することができます。ベッドは電動リクライニングつきです。これが毎日です。
なんて優雅な暮らしぶりなんでしょうか。
あこがれませんか?
これだけ聞いたらぜったい「いいなあ」と思うでしょう。それだけ、日々忙しくしていて、疲れがたまっているのだと思います。こういう時間は「休息」の時間だと。
でも、ずっと休息の時間だったら、それはちょっと退屈と思うかもしれません。
さて、私の現実はどうでしょうか。
腕には点滴ルートが5日間連続で刺さっています。週1〜2回、寝起きに採血があります。1日に2時間ほど、一般的には「毒」とされるヒ素を体内に取り込みます。シャワーは、共同のシャワールームで30分間を予約して入ります。パジャマやタオルは1日500円ほどでレンタルするか、自分で用意してきて洗濯100円・乾燥40分100円で洗濯するかです。干す場所はありません。
そして、ホテルと同じように宿泊にお金がかかります。治療に用いる薬もバカ高く、今国会で議論になった「高額療養費制度」を利用してもなお、非常に高い出費です。
今回は、一般的には毒であるヒ素とはいえ、副作用がほとんどなく自由がありますが、今後の入院ではまた骨髄抑制がおきる治療、すなわち白血球が0になり最高レベルの感染症対策が必要になり、ほとんど部屋から出ることができない日々も続きます。
どうせ優雅な休息の時間をとりたいのならば、やっぱりしっかり働いて、稼いだお金でよいホテルに宿泊したり、レストランで美味しいものを食べたりするのがいいですね。
でも、ふたつ言いたいことがあります。(すでに何度も書いたと思いますが)
一つは、忙しさが常態化して「疲れ」を当たり前のものとして放ったらかしにしないでほしいということ。具合が悪くても病院行くのは面倒という思いももたずに、ちゃんとかかりつけ医に診てもらってほしいということ。つまり自分で自分の体調の変化に気づき管理できるレベルで働いてほしいということです。
もう一つは、(あまり考えたくはないことですが)万が一、大病患って入院することになっても、今の私のように、医師や看護師さん、その他たくさんのスタッフがしっかり管理してくださり、不安が最小化するように働きかけてくださるということ。最初に少しは「いいなあ」と思われたような時間もあるかもしれないということです。呼吸器系疾患での入院だと個人的にはつらそうな気がしていますが、病棟を回って歩いていても、入院されている患者さんがずっとつらそうにしている感じは見られません。インフルやコロナにかかると猛烈にしんどいじゃないですか、あんなしんどさって、そうそうあるものじゃありません。
結局は「気の持ちよう」なんじゃないかって言われるかもしれません。それも一理あります。でも、そうであれば、気の持ち方は何もおきていない日常のうちにつくっておくことが大事だと思います。大病患ってから「気を強くもとう」など、気の持ち方を変えるような力を使うのはとってもしんどいと思います。
まあ、今こうやって文章化する作業も、私自身が気をしっかり持つためかもしれません。
<余談>
いつもChatGPTに画像生成してもらっていますが、今日は調子が悪くて復旧に時間がかかっていました。その間に、GeminiとCopilotでも生成したので並べてみます。GeminiはGoogle AI StudioからGemini2.0 Flash(Image Generation) Experimentalを使用。



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