端午の節句のお祝いをするのは、子どもが何歳まででしょう。妻に話したら「小学生までかなあ」とのこと。なんとなく私もそんなイメージを持っていました。五月人形を飾っても別に喜んでもらえない歳になったらかなとか。
ネットで調べてみると、もちろん「特に決まりはない」とありましたが、「社会人になるまで」「成人を迎えるまで」というのも出てきて、想像外でした。子どもが喜ぶ行事というよりは、親が喜ぶ行事ということですね、たしかにたしかに。
我が家にある5月人形は、年代物です。実家にあったものを、実悠がいるので父母が「持っていきな」と渡してくれたものです。
私は3人兄弟で、兄と妹がいます。兄は長男。私は次男。妹は長女だし、末っ子です。兄とは年子のため、あまり「お下がり」がくることはありませんでしたが、長男を中心に家族がまわっていましたし、妹は末っ子の女の子ですから、それはそれは可愛がられていました。私はどちらとけんかしても、自分が怒られるという思いをもっていました。大人になってみれば、実際はそんなことなかったかもと思えますが、当時はそのように感じていました。
実家で、男の子用に何かを買うとしたら、それは兄のためであり、兄の成長のタイミングです。女の子用に何かを買うのは妹のためのものです。
兄の家族にも男の子がいるので、うちでもらってしまってよいのかという感じもします。先に実悠が生まれたとはいえ、どうなのだろうかと思っていました。もらいうけるときに、初めて親から聞かされました。これは、私のために買ったものなのだと。聞いてすぐには、どういう意味なのかはよく分かりませんでした。私の出生祝いでもらったお金で、5月人形を購入したということのようでした。そして、親としても「私のことを思いながら」5月人形を選んで買ってくれたとのことでした。
こういう私に対するエピソード、子どもの頃は全然しなかったんですよ。最近、いろいろ聞いてびっくりすることがあります。自分の誕生日は陣痛促進剤で計画されたものだったとか、予定より1週間近く早めたから、病弱に生まれてしまったのではないかと、ずっと心配していたとか。
誕生日の件は結構ショックだったんですけれど、五月人形の件はなんだかすごく嬉しかったんです。もちろん親は、長男と同じくらい私にも愛情を注いでくれていたのですけれど、そういう「自分にだけ向けられた」と思うものの存在に、この歳でもすごく嬉しいんです。
そんな思いを受け止めているから、私は五月人形を飾ると、また一層に実悠への愛情を胸の中で強くするのです。毎年人形と並んで撮影しているので、すくすくと成長している記録がしっかりと残されています。
実悠は、親の愛情をいつも正面からうけとめてくれます。もしかしたら、来年には「もういいよ」って言うかもしれません。でも、親はバカだから、来年もつきあってもらいたいな。
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