自分たちの「指向・思考」は誰が築いたのか?

世情

今日はポエムから。

築きつつある”最中なのか、“築かれたものの上”にいるのか、“かつて築いた記憶”の中にいるのか、

それは年齢と共に移ろう。だが、どの世代も完全に自立して指向や文化を持っているわけではない。

必ず、過去の積み重ねと、未来への連続の中にいる。”今”は、常にその通過点なのだ。

Tomosen

はじめに

 今一番若い世代はα世代というんだとか。確かにZ世代はもう成人している人もいますし。まあ誰が明確に定めたものでもないのですが。英語で「generation」は30年と学生の時に辞書で調べて「なるほど」と思った記憶があります。30歳で子どもを産めばそういうことかみたいに妙な納得をしたのでした。

 ただ、子どもは毎日生まれていますし、実際の「世代」は、どこかに区切りがあるわけではありません。それでも生活様式や行動様式、価値観がおよそ似ている年齢層によって「〜世代」と呼んでいるわけです。これを「世代論」といいます。

 大体どの世代の人でも、「ジェネレーションギャップ」を感じることがありますよね。ただ、それと合わせて「最近の若いもんは・・・」という高齢世代と、強い主張をする高齢世代を「老害」と拒絶したりする様子も見られます。

 これらは、一見「世代間対立」のように見えますが、実は違う構造があるのではないでしょうか。

世代論とは何か

 世代論とは、特定の年代に生まれ育った人たちが、共通する社会背景や文化体験の中で形成した価値観や行動傾向をまとめたものです。「団塊の世代」「バブル世代」「ゆとり世代」「Z世代」など、時代によって名前も変わっていきます。

 もちろん一人ひとりが同じ価値観を持っているわけではないけれど、「あの世代っぽいよね」とか「この感覚、バブルっぽい」なんて言われるのは、共通する経験や流行、時代の空気があるからなんでしょうね。

 世代というくくりは、曖昧だけれど、わかりやすい。だから私たちは、つい世代で人を語りたくなるのかもしれません。

成長と老化 ― 通過する“発達段階”としての特徴

 ここで大事なのは、「世代」とは別に、人間は成長と老化というプロセスを誰しもが通るということです。

 たとえば若い世代の中には、自己表現が強く、感情の起伏も大きく、時に未熟な言動が目立つことがあります。ネット上の発言や突飛な主張、無鉄砲な行動——それらは“今どきの若者”だから、というよりも、「若さ」そのものが持つ未完成さや尖りとして自然なことでもあります。


 一方で年を重ねると、新しいものを受け入れる柔軟さが落ち、経験則や成功体験に基づいて「今の若いもんは…」と語りがちになります。実は古代の文献にすでに出てくるほど、歴史のあるセリフです。つまりこれは、どの時代にも繰り返されてきた“人間のあるある”でもあるんですよね。これもまた、老化にともなう心理的な傾向として、ある程度普遍的なものです。いわゆる「老害」と揶揄されるような言動は、世代特有の価値観というよりは、人間が老いていく過程で誰にでも起こりうる“変化”なのかもしれません。

 つまり、若さゆえの尖りや未熟さも、老いゆえの保守性も、どちらも“世代のせい”ではなく、“年齢的な発達段階”として生じるものなのです。

世代論と発達段階(成長・老化)の混同に気をつけたい

 「Z世代は無責任だ」とか、「バブル世代は価値観が古い」といった言い方は、社会背景に基づく世代論の一部であるかのように見えて、実は年齢に応じた人間の発達段階と混同されていることが多いんです。

 若さゆえの過剰な自己主張や未熟さ、老いゆえの保守性や自己正当化。

 これらは“いつの時代でも”見られる現象です。だからこそ、「あの世代がダメなんだ」といった乱暴なラベリングではなく、成長や老化という“人間の普遍的プロセス”として理解する視点が大事です。

自分の価値観は「自分で築いた」と言えるか?

 私はふと思ったんです。「自分の今の思考や指向って、本当に自分で築いたものなんだろうか?」と。

 10〜20代の頃って、みんな「自分らしさ」を求めているようでいて、実はまだ何も社会に対して貢献していないことが多いですよね。でもその思考の土台って、結局は先人たちが築いた社会の中にある。

 30〜60代になると、ようやく社会を担う立場となり、自分たちなりの価値観で物事を動かせるようになっていく。つまり、「創る側」になっていくわけです。

 そして老年になると、かつての自分の価値観にこだわりがちになり、「今の若者は…」と嘆きたくなる。でも、その若者を育てたのも、その社会を作ってきたのも、まさに自分たちじゃないか、とも思うわけです。

世代間の責任と敬意

 若い世代に伝えたいのは、「あなたたちが自由に個性を発揮できる今の社会は、前の世代が汗をかいて築いてきたんだよ」ということ。

 年配の世代に伝えたいのは、「今の若者のありようが気に入らないのなら、それはあなたたちの築いた社会の鏡でもあるんだよ」ということ。

 そして、若さゆえの未熟さや危うさには、「誰しもそうだった」と思い出してほしいし、年齢を重ねることによる頑なさには、「いつか自分もそうなるかも」と思っておいてほしい。

 どちらも、“通過するもの”として、お互いに見守り、尊重できる社会でありたいなと思います。

おわりに

 「世代」は、時代背景が育てた文化的なもの。

 「成長」や「老化」は、誰にでも訪れる人間的なプロセス。

 このふたつをきちんと区別することで、世代間の見え方がずいぶん変わってきます。

 若者を一方的に嘆いたり、高齢者を一括りに拒絶したりするのではなく、それぞれが「今」という社会の担い手として、何を引き継ぎ、何を築いていくか。

 そんな視点が、これからますます大事になるのではないでしょうか。

 私は、世代間の違いがとても楽しいです。もちろん時には「どうしたものか」と思うこともありますが、ちょっと立ち止まって「ジェネレーションギャップではないかも」と考えるようにしています。

 そしてまた、「負の遺産を残した」と言われないよう、がんばって働きます。(今は治療中)

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