ICTは「道具」ではなく「手足」

教育

ICTを「道具」と言い切る人たち

 絶滅危惧種?いいえ、全く。教科教育を熱心に研究されてきた方こそ、特に「ICTは所詮ツールでしかない」と言い放ってしまいます。でも、そういう方が上手にその道具を使って授業をしている場面は、あまり見たことがありません。

 ただ、教科教育には系統的な(正統な)ねらいがあるからこそ、こういった方がICTを上手に活用して、よりよく目標達成していきたいと考えるのは至極真っ当なことです。そしてそれについては間違いでもなんでもなく、ICTによって教育効果が高まれば素晴らしいことです。

では、その道具の「使い方」はどこで学ぶのか?

 しかし、学習効果として考えた際、ではICTが道具であるならば、その道具の使い方はいつどこで身につけるのでしょうか。その指摘についてはいつも言葉を濁します。二兎を追う学習に否定的であり、内心、自分が専門とする教科以外の時間でどうにかしてほしいと思っていたりします。これは別に情報活用能力に限ったことではなく、教育現場でよく見られる縦割りの領域争いです。

 そんなことをやっているうちに15年が経ち(20年かな)、身につけるべき情報活用能力そのものも姿を変えてきています。

ICTは道具ではなく、もはや「手足」

 もはやデジタルネイティブの子どもたちの生活には、ICTは道具ではなく手足になりました。それが分かっていたから、学習指導要領でも情報活用能力は「基盤的能力」に位置付けているんです。

 「言語は所詮ツールでしかない」とか流石に言わないじゃないですか。言語を通して生きているんです。それと全く同じで、情報を通して今の人々は生きているのです。

情報教育をめぐる最新動向

 2025年5月22日(木)に、文科省の教育課程部会の教育課程企画特別部会(第8回)が開催されました。その後の報道でもありましたが、次の学習指導要領において、小学校では「総合的な学習の時間」の中に情報の領域を設ける、中学校では「新・技術分野(仮称)」を創設するという方針が出されました。

情報教育は「技能教科」としてとらえるべきでは?

 私は20年前から「情報化社会を生き抜く」ではなく「情報社会を生きる」でしょって言い続けてきましたが、「情報社会」というのも名前が同じでも中身が別物にもなり、ますます「技術・情報をくらしに生かす」という視点が強くなっています。

 その中で、やっと「情報」をちゃんと教えようという枠組みが出来ようとしています。

実は体育と近い?情報教育のカリキュラム構造

 私はですね、情報教育界隈の方が名が通っているようですが、足元では生活・総合と社会科の研究をしてきた身でして、それこそ「同じ穴の狢」のように「いやあ、総合の時間また削られるの嫌だな」と思っちゃうわけですが、「情報」はまさに「技能教科」に分類していいんじゃないかと思うのです。

 目標は全然違うのですが、体育のカリキュラムの考え方と、情報は非常に近いものがあると考えます。(世界で私が初めて言った・・・か分からないけど、私は言った人を聞いたことない)特に小学校の体育です。

【本邦初公開】体育と情報教育の対照表

体育の内容領域主な学習活動対応する情報教育の内容育てたい力
体つくり運動柔軟・筋力・持久・バランス運動などICT機器の基本操作、タイピング、姿勢と使い方、ID管理など情報ツールを正しく、安全に使う力(基礎体力)
体ほぐし運動リラックス、コミュニケーション、心の健康を保つ運動デジタル・ウェルビーイング(使用時間管理、SNSの距離感)情報との健全な関係づくり
器械運動など決められた技の習得(逆上がり、跳び箱など)アプリ操作、簡単なプログラミング、撮影・編集などスキルとしての情報操作能力
ゲーム(簡易ルール)自分たちでルールを工夫しながら行うボールゲームなどデータの集め方や整理方法を考える、検索のしかたを工夫する情報を活用する力(考え、調べ、工夫する)
ゲーム(チーム戦)チームで戦術を考え協力する活動情報を使って課題を解決する協働的活動(例:調べ学習やポスター作り)協働的に情報を活用する力
表現運動感情やイメージを表現(ダンス、即興)プレゼン、デジタル作品制作、AIとの対話、創作活動情報を表現に使う創造的な力

 まあ・・・こじつけな部分もありますが(笑)、結構いけてると思いませんか?これから私が講演するときはこれ使っていこうかな。

情報教育は生きる力を支え、社会を豊かにする

 「情報」の学習は、まさに手足を鍛えること、そして協働的な学びの力を高めること(これは言語能力に移行する可能性が示されました)ではないですか!

 体育は、音楽や図画工作と同様、生き方や人間性を豊かにしていくものですが、情報はそれに加えて社会を豊かにしていくものにもなります。その辺りが総合的な学習の時間に組み込まれていくイメージだといいなと思っています。

情報は「総合」だけに任せられない

 少し懸念しているのは、学年や総合の探究課題の領域によっては、「情報」とのリンクが必ずしもピッタリと噛み合うわけではないということ。つまり、小学校の「情報」を、これまでの総合的な学習の時間の活動だけに関係づけようとするのは無理があるということです。

 現在検討で示されている図ではそのように読み取れてしまう(気がする)ので、また誤解が広がらないようにしたいところです。

「基盤的能力」としての情報教育のこれから

 現行指導要領にもある「言語能力」「情報活用能力」は基盤的能力であるがゆえ、どの教科領域でも扱われ、またそれは教科領域内でも鍛えられていくものだということは改めて申し上げておきます。

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