国会で、教職員給与特別措置法の改正法が成立しました。
給特法改正の話が出てきた当初から「そういうことではない」という批判がずっとありましたが、結局は給特法改正という形で進んでしまいました。
処遇改善というのは、世の中からしてみれば「厚遇される職業」に見えるようにするってことだと思います。これは単に「教員の成り手不足」への対策ということができます。
しかし、これが効果を発揮するとは思えないんですよね。だって、教職員調整額がすぐに10%まで上がったとしても、20時間ほどの残業代にしかなりません。
文科省の調査によると、小学校教員で過労死ライン(月80時間)を超えている割合は14.2%だそうです。自分の教員経験での自身や周りの方の様子からの体感とは、ずいぶん差がありますけれど。(半数近くが過労死ラインを超えていると感じています)
教員の働きすぎは、もうずいぶんと問題になってきているわけですが、「働き方改革」でなされてきたことの中には「偽装された勤怠管理」も含まれていることをきっぱりとお伝えしておきます。
教員は、教育基本法に「第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」とあって、時間無制限な側面を義務付けられているんです。
いやいやいやいやいやいやいやいや〜、「絶えず」ってのは、就職したときの状態でいいってことじゃなくて、定年退職むかえるまでちゃんと研究と修養に励むってことだよ、時間無制限とか誰もいってないし!!!くさwww と言うのが普通ですよね。ところが、実態はそうではないんです。
授業準備という、絶対にやらなくてはいけない業務であっても、「自発的に行ったもの」すなわち校長が職務命令を出していないものとして扱われてしまうんです。これによって、担任業務の多くを担任の先生たちは業務時間外に行っています。土日に休日出勤してテストの採点や評価を行ったり、家に帰って子どもを寝かしつけてから夜中まで次の日の授業準備をしていることが実態で、これは勤務時間には含まれていません。労働基準法に照らし合わせて違法であっても、給特法によって適法であるという最高裁判決が出てしまっているのです。
教育基本法第9条の2には、「2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。」とあります。
教育基本法に「教員は時間無制限な側面がある」と定めて、だから労働基準法は適用できないから「教職員給与特別措置法」というものを定めて待遇の適正を期すことにしようというのが現状なんですね。
例えば、学生さんに「実質どれくらい仕事しているの?」って聞かれたとして、「実質は過労死ラインだよ。よくて月45時間くらいの残業で、教職員調整額はMAXで月20時間程度の残業代相当だよ。」って答えることになりますが、これで成り手不足が解消するとは到底、いや全く思えないわけです。
現場の先生で「給料が上がればもう少しがんばれる」と言う人を聞いたことがありません。もちろん、給料上がって喜ばない人はいませんけど。
それよりも、精神論でない、本当の働き方改革が必要なんですね。
他の多くの仕事だって、ときに「命削って仕事する」キャンペーン期間みたいのはあるのだと思っています(だから労災認定は単月なら100時間以上)。でも、それがほとんど年中だとしたら、そりゃ精神疾患になりますって。モンスターペアレント相手にしているから精神疾患になるわけではないんですよ。あまりに重労働すぎて休息がなさすぎるからなんですよね。
以前から私は「休憩休息時間の確保は、最後の砦」だと申し上げていますが、実態はほぼ全てを業務に当てています。子どもの休み時間や給食時間も指導時間ですから、教員の休憩休息時間は子どもを下校させてからとることになっています。8時間労働だと1時間の休憩時間が必要になるので、教員の労働時間は7時間45分に設定され、休憩時間は45分間とされています。仮に子どもたちが6時間授業で下校するのが15時半として、勤務終了時刻は16時45分なので、15時半から45分休憩時間があると、残された勤務時間は16時15分からの30分間ということになります。30分間で今日の子どもたちの様子をふりかえったり、提出物の評価やコメントをしたり、次の日の授業数時間分の準備をしたりすることは不可能です。それはおろか、この30分間のわずかな時間に、他の先生との打ち合わせとか会議を入れなければなりませんから、担任業務はできません。会議をどんなに減らしたり短縮したりするといっても、それを実現するためには資料準備や共有された資料に目を通す時間が必要です。この時間も業務時間内には確保できません。若手の先生が先輩先生に相談できる唯一の時間が「休憩時間」。ですから、できる限り私は休憩時間はコーヒーを入れて暇そうにするよう心がけていました。勤務時間を終えてから暇そうに振舞うのって無理があるじゃないですか。(でも本当は若手の先生こそ、休憩をとってほしいんです。だから相談もポップなノリでできたら一番いいんです。)でもでも、児童指導の情報共有ですとか保護者対応の共有ですとか、結局次々の休憩時間に入ってくるんですね。そんなわけで、「ものすごくがんばって休憩をとる」「後ろめたさを感じながら教室に籠る」というようなことをしない限り、休憩時間はほとんどとれません。こういった側面からも、心身にダメージが蓄積されるようになっています。
OECD調査では、教育にかける公的な支出について日本は36カ国中33位。今いる教職員の給与をほんの少し上げたところで、処遇は改善されませんし、何より子どもたちへの教育の質は落ちる一方です。
教員でなくてもできる業務を行う職員を雇用するというのも、もちろん必要ではあります。ただ、それでも教員でないとできない仕事も多く、現状では人が足りなさすぎるのです。質の高い人材を集めるのであれば、「給料今の3倍にして、無制限に仕事したい人」を募集するとか、教員の人数を倍増して一人当たりの授業時間数を減らすとかしないと難しいのではないかしら。
このままでいくと、向かう先は「行事をなくす」「授業をオンライン化して、多くの教員は授業をしない」「義務教育だけど保護者負担の金額を増大させて教育活動をアウトソーシングする」ということになっていくでしょう。授業のオンライン化というのは、高校生くらいなら現実的かもしれないなあと思いますが、小学生では不可能だろうと思います。
「個別最適な学び」かつ「主体的対話的で深い学び」を協働的に実現していくということが、お金をかけずに実現できるわけがありません。
教員の専門性って、教育学とか心理学とか社会学とかの専門的知識をもつことよりも、広い教養と時事への高い関心と、時代の流れを受け入れる感受性、多種多様な人との交流といったことを充実させていく方が高まると、私は思っています。それって、どの仕事にも当てはまりそう。特に人を相手にした仕事では。そういう機会こそ、「時間無制限」となる業務時間外に得られるものなんですよね。ですから、今は本当に悪循環に陥っています。
教員の仕事は、とっても楽しいです。毎日レスポンスがはっきりある子どもたちと大笑いしながら生活できるなんて、なかなかないでしょう。また時間をかけて、自分が働きかけた相手が目にみえる成長を見せてくれるなんて、嬉しくって仕方ありません。人の豊かな人生の一部をアシストできるなんて、本当にやりがいのある仕事です。
こんな素晴らしい仕事が、根性論でゴキブリ並みの強メンタルを中高生の部活とかで養ってきて、1日4時間程度の睡眠で生活できるような人にだけしかできないなんて、もったいないです。
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