ルールと憎悪の関係

世情

 電動キックボードやモペットの危険走行が、よくニュースで取り上げられています。近所でも明らかにモペットだろっていう自転車風の乗り物で、歩道をかけあがってくるやつとかいて恐ろしいなと思っています。電動キックボードは街に出ないと見かけませんが、見た目がとても不安定そうで、車道で見かけるたびに「大丈夫かなあ」と心配になります。車に乗っている人からすると、嫌だなあと思うでしょうね。

 ニュースでは、電動キックボードが歩道を高速で走っているだとか、車道を逆走しているだとか、信じられないものが報道されていましたが、たぶん都市部では深刻な状況にあるのでしょうね。危ないのできっちり取り締まってもらいたいと思います。いや、やっぱり免許なしで乗れるっていうのがよくないんじゃないかな。

 でも、電動キックボードは改正道路交通法に基づく交通テストに合格していないと乗ることができないようになっているとのこと。車の免許を持っている人だって、道路交通法の全てを覚えている人なんてほとんどいないでしょうから、必要な知識はパスしているのかなとも思えます。それでも逆走する人なんているのでしょうか・・・。

 電動キックボードの話はいったんおしまいにして、私が最近気になるのは自転車です。自転車も青切符が切られるようになったということですが、危険走行はちっとも減っていません。こちらは、もっと啓発が必要に思います。同時に取り締まりも進めていくことが大事でしょう。

 自転車の走行ルールについては、テレビなどでいろいろと取り上げてはいるようなのですが、自転車乗る人も乗らない人も、みんな「聞きかじり」程度のようにも感じます。

 それが「ルール守ってるんだから俺が正しい!」とか、「あいつはルールを守っていないから断罪されるべき!」といった強い憎悪の念を生んでいるように感じるのです。

 うちの近所には、川が流れており、川ぞいは遊歩道があります。「遊歩道」という名称でも、自転車の走行が認められているところは結構あるのです。車道はありませんから、自転車もそこを通るのですね。ただ、歩行者優先であることはまちがいありません。

 車道と歩道の両方がある場合、自転車は原則車道を走行することになります。車道では軽車両として当然左側を走行することになります。特別な理由で歩道を走行する場合は、車道側を徐行することになっています。

 うちの近所の川ぞいは車道のない遊歩道です。以前私と子どもたちで自転車で遊歩道を走行していました。遊歩道には散歩をしている方もいらっしゃって、私たちは縦列で徐行しながら、その方たちにじゃまにならないようにしていました。すると前方からロードバイクに乗った人が走行してきたんです。こともあろうか、速度をゆるめることもなく突き進んできました。危険だったのでもっと端に寄ろうとすると、どういうわけかギリギリの隙間を無理やり突っ込んできたんです。びっくりして「信じらんない」とつぶやいたところ、ロードバイカーが「自転車は左側走行だろうがぁ!」と怒鳴りちらしてきたんです。思わず「ここは歩道だよ?」と言い返しましたが、そのまま子どもたちの横をすごい速さで通りすぎていってしまいました。

 ロードバイカーは「自転車は左側走行」というルールだけを強く覚えていたのでしょう。ですから、私たちが歩行者のじゃまにならないように右側に避けていたことが「正しくない」と思ったのでしょう。「自分が正しい」と思っているのに私が(歩道で歩行者も、停まっている自転車もいるのに、そのギリギリを猛スピードで突っ込んでくるなんて)「信じられない」とつぶやいたものだから、自分の正当性を攻撃的にアピールしたのでしょう。

 別の日、また同じように遊歩道を子どもと自転車で走行していました。前に複数人で散歩をしているおばあさまたちがいらっしゃいました。行く方向が同じだったので、こういうときは自転車を降りて、抜かしてからもう一度乗るんです。「ごめんなさい」と声をかけて抜かさせてもらうという方法もありますが、急いでいるわけでもないですし、歩道でそういう方法を取ることはまずないです。

 降りようかとも思いましたが、数メートル先で他の道と合流する開けた場所があったので、最徐行をしながらそこまで行ったら抜かすことにしました。

 ところが、前方からウォーキングをしてこちらに向かってくるおじいさんがいましたので、自転車を一時停止したんです。でも、おじいさんは音楽を聴いて下を向いて歩いていたので、私たちに気づきませんでした。本当に目の前まで歩いてきたときにタイヤが見えたからか急に顔を上げ、「うわぁ!びっくりした〜!」と大声を出しました。音楽聴いてよそ見していると、危ないですよね。

 おじいさんは「あっぶないなあ!ここは遊歩道ですよ!!」と静かにブチ切れていました。私は「停車していましたよ。」とだけ告げました。

 おじいさんの気持ちもよくわかります。「遊歩道」という名前なら自転車が走行するのはおかしいと思うのももっともです。それと最近ニュースで見た「自転車は車道を走行するルール」というのが相まって、私のことを断罪したくなったのだと思います。

 前述のローディーは「正義ふりかざした迷惑なヤツ」、後述のおじいさまは「音楽聴いてよそ見は危険だけど、おどろいて思わず声を荒げてしまった、もとはいい人」というのが、両日一緒にいた娘との同じ感想でした。

 驚かせてしまったのは申し訳なかったなあと思いますが、まあ「音楽聴いてよそ見」は危険ですから気をつけた方がよいですね。ただスマホを見ながら歩くより、さらに危険です。

 最近は、自転車が歩道を走行していると、あからさまに嫌な顔をする人が増えました。その一方、人を追い越すときは降りて歩く人も増えました。といっても、シニア女性くらいですけれど。

 道路交通法が改正されたことは好ましいことですが、それによってかえって憎悪が増している現状もあるなと感じます。

 これは、法の形式と正義の精神の問題といえます。法律は、私たちの安心や安定など、種々の徳を目的としてコンセンサスをもって成立するものです。しかしながら、ひとたび明文化されると、目的ではなく法の下の公正公平のみに目が行きがちになり、形式的な正義を強化してしまうことがあります。すなわち「内在的な規範意識」から「外在的な縛り」として作用し始めてしまうことがあるということです。

 こうなると「守る側」と「守らない側」という対立構造になってしまうこともあります。守っている側が、守らない側を非難することが正当化され、「怒ってもいい」「攻撃してもいい」という感情の正当化へつながりやすくなります。

 さらには、ルールが「道徳」や「人格評価」にすり替わることもあります。つまり、「ルールを破った」=「人間としてダメ」というラベリング。相手を理解しようという意識が薄らぎ、敵視へと傾きます。

 場合によっては、「ルールを守る自分」というものを意識しすぎるタイプの人にとっては、守らない他者の存在が自分の価値観の否定に見えてしまうこともあります。

 SNSでの炎上、社会的制裁を加えようとする心理に通じるものがありますね。

 ルールは本来、共生のための手段であるべきです。それが自己の正義の道具となると、簡単に憎しみや排除に転化します。

 ルールを守ること以上に、なぜそのルールがあるのかを共有したり、対話したりし続けることが肝要です。

 ・・・自分や家族が危険にさらされたときは、必ず「天罰がくだれ!!!!」と思ってますけど笑 これはルールのあるなしに関わらずですね。

コメント

  1. mitatomo より:

    同感です。自転車のベル鳴らしたことない笑

    ここ数ヶ月献血に行けてないので7月から再開します(宣言!)陰ながら応援してます。

    • tomosen tomosen より:

      道路交通法が改正されたとはいえ、多くの自転車乗りの人にとって車道の走行はかなり危険だと思うのです。
      道路の整備もしっかりしてほしいですし、自転車専用帯への違法駐車もしっかり取り締まってほしいです。

      応援ありがとうございます。治療はどきどきすることも多々ありますが、おかげさまで順調です!

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