今日は昔話。初任校での「学校広報」の仕事の足跡です。
最近の学校はヤバいの印象に打ち勝つには
教員だけでなく、子どもたち自身も、保護者の方も、地域の方もそれぞれがそれぞれの立場から情報を発信する仕組みを学校webサイトの中に作り、「非日常をあつかうニュースメディア」に負けない、「日常のありのままの学校」の姿を発信していました。
ニュースは非日常を扱います。そして今やSNSやニュースサイトではフィルターバブルが発生するので、特定のジャンルのニュースがあたかも世界の日常を形成しているかのような錯覚に陥りやすくなります。そこから「我が子の学校もやばいことになっているのでは」と不安が募るのは自然な流れです。
それに対抗できうる手段は、学校自らがメディアをもつということです。そして、月1回の学校だよりのように、「特別な課外授業」などを取り上げるようなメディアではなく、地味で下手な普段の授業の様子を取り上げたり、教師視点だけでない子どもや保護者視点での情報を載せていくようなメディアです。仕組みを作らなければうまくはいきませんが、それでも学校webページは、すぐに発信できること、いつでも見られること、低コスト(紙媒体でカラーは日常的には無理)など、多くのメリットがあり、キラーアプリケーションになり得ました。
学校webサイトとの出会い
初任のとき、まだ学校のPCルームにパソコンが10〜20台くらいしかない時代、学校ホームページを作って公開しましょうという流れがありました。当時のICT支援員のような方から簡単にwebページの作成の仕方を習い、担任が学年ページを作るというものでした。それでも1年間で1ページがやっと。ただ、ページが作れても、ハイパーリンクでどうサイト化していくかというのは、本当にごく一部の人にしか分かりません。そのとき、大学時代から自分でwebサイトを作成していてノウハウを持っていた私に白羽の矢がたったのです。
J-KIDSとの出会い
教員2年目になるとき、先輩の先生が校長に私を推薦してくださって、私はホームページ担当ということになりました。でも、個人のHPにはスキー日記とか空手日記とかポエムとか載せていた程度で、学校から何をどうやって発信していけばいいのかなんて何も分かりませんでした。そこで他の学校のwebサイトを調べてみることにしたのです。
横浜市中の学校webサイトを見てまわりましたが、どこもまだ教育委員会が準備したデフォルトのままの学校ばかりでした。そんな中、いくつかの学校で日常を熱心に発信しているところが目に止まりました。さらに、そこには「第1回J-KIDS大賞優秀校」のようなバナーがあったのです。
全国の小学校の学校webサイト全てを、独自の審査基準(評価マトリクスは公開されていた&学校広報としての評価指標となっていた)で勝手に選考して表彰しようという「J-KIDS大賞」というコンテストが2003~2012年の10年間開催されていました。
私は優秀校や県代表校、大賞校のサイトを参考にしながら、足元からできることを考え、少しずつコンテンツを増やしていきました。学年のページを支援しながら充実させたり、校内で見られ感じられる四季を写真に撮って公開したりしました。
職員からは「やってもらってありがたい」「うちの学校すごくいいね」という声をもらいました。次に大きな味方になってくれたのはPTAの方でした。PTAの集まりのときに、役員のひとりの方がwebページを印刷したものを持ってきて、「これ、すごくよくない?」と紹介してくれたのです。そこから、日常的に発信をしているということが保護者の間で広がっていき、学校webサイトへのアクセスが増えていきました。
情報発信主体が横に広がってきた
教員3年目。HP担当となって1年間取り組んできて、J-KIDS大賞で県の優秀校に選ばれました。これがホームページ担当者としての自己満足に終わることなく、周りの先生方や保護者の方がとても喜んでくださったことが、このあとの私の励みになりました。
それから、PTAの方から「PTAの情報も載せてくれないか」「地域行事やPTA行事も載せられないか」と相談をいただくことになりました。私も記事を書きましたが、それだけではなく、保護者の方が取材もしてくださり、地域の方の意見をまとめてもくれました。もともと、地域に根差した学校だったこともあり、一度認められると「学校の信頼は地域の信頼」と、いつも後押ししてくださるようになりました。私が「地域と一緒に学校をつくっていきたい」という思いを抱くようになったのも、初任校の保護者・地域の方のおかげです。
J-KIDSのおかげもあって、全国の小学校のホームページ担当者ともつながりをもつことができるようになりました。教員4年目も県優秀校をいただき、5年目にはなんと県代表校に選出されました。
サイト運営の限界と、独自CMSの開発
サイトの規模も大規模化してきました。当初は、発信したい内容があるときに、画像をもらい、文章は手書きかwordなどに入力してもらったものを、私がwebページにしていましたが、各学年学級の様子をより積極的に発信していきたい一方、学級担任をもつ私がコンテンツ制作をすることは無理がありました。当時盛り上がっていたブログブームのように、「外部のブログサービスが使えたら手軽に更新ができるのに」という思いを強く抱きました。しかし、横浜市では、外部サービスの利用は禁止されており、また市教委が用意しているwebサイトでは訪問者カウンタくらいのプログラムしか用意されていませんでした。データベースもサーバーサイドのプログラムも使えませんでした。
そこで、当時web2.0としてgooglemapsのようなAJAX(非同期通信)技術に着目して、「エクセルで1行入力したものを、javascript+cssでブログ風ページに整形し、カテゴリソートなども行える」システムを開発しました。
これによって、どの先生でも自分でページの更新ができるようになりました。画像は「縮専。」というアプリ使用して、画像サイズや画像容量を小さくしてもらいました。(1学校あたり100MB程度しか割り当てがなかったのです)
学校子どもブログ活動と全国ベスト8受賞
子どもたち自身がメディアを作っていくという意義もこの頃強くもつようになりました。児童の委員会の中に「情報委員会」と立ち上げて、子どもブログを発信しました。クラスの日直がポッドキャストを配信するなんてこともやりました。
全国のホームページ担当者と連絡をとりながら、学校間の子ども交流ができないかという話になりました。自治体によってはオフィシャルサイトでなくてもブログサービスなどを活用することができ、そういった学校ではすでにブログにコメントをつけあう活動を試験的にスタートしていました。私が開発した「Ajax × Excel × Blog」は、あくまでもクライアントベースで動作するjavascriptのブログですから、コメント送信機能などは実装できません。
私は教育委員会にお願いして、コメントフォームに入力されたデータを学校のメールに送るだけの機能のプログラムを外部サーバーにおかせてもらいました。送られてきたメールは全てコメント専用のxmlスプレッドシートへコピペしました。他自治体と同じように「決済だけ」といった感じにはできませんでしたから、かなりの労力が必要ではありましたが、おかげで全国の小学校の子どもたちとの交流も実現しました。
教員6年目のとき、J-KIDSで全国ベスト8を受賞しました。校長先生と情報委員会の子どもたちと一緒に授賞式に参加しました。学校・保護者・地域みんなで受賞したことが本当に嬉しかったです。
学校広報の裾野を広げる
みんなが参加する学校webサイトではありましたが、どうしてもサイト管理運営やwebデザインについてはテクニカルな要素が大きく、担当者としての役割はいっそう大きくなっていました。
1年延伸をいただいて、教員7年目で一生懸命引き継ぎをしました。私が開発したクライアントサイドのCMS「Ajax × Excel × Blog」のおかげで、どうにか最低限のコンテンツの延命はできました。
初任校の7年間は、私の教員人生において本当に大きな礎となりました。やれと言われてもいない仕事に熱を入れ、意義を主張し続けたぺーぺーの私を、学校長は「いいと思うことはやってごらん」と背中を押してくれ、先輩先生方は協力をしてくれ、保護者・地域の方は賛同・応援をしてくれました。こんなにわがままを通させてもらえた教員なんて、なかなかいないんじゃないかなと今でも思います。感謝しかありません。
初任校での学校webサイト管理運営を通して、学校広報に対するたくさんのノウハウを蓄積しました。理論的なものもそうですが、広報の文章の書き方や写真の撮り方など実技的なものを講師として伝える機会も増えました。(ニーズは市外が多かったですけど)
先輩の年齢になって、今思うこと
私は、よく「前の職業がありますよね?」と聞かれます。SEとかデザイナーとか。確かに大学生の頃に趣味でホームページ作成はしていましたが、大規模なwebサイト運営とか、プログラミング、メディアクリエイトなどは全て、初任校で「ホームページ担当」になったことで独学して身につけたものです。だって、「ぜったいいいことがおきる」「みんなが幸せになる」っていう未来が見えちゃったのだもの。よく分からん仕事がチャンスになって、いろいろ調べたり勉強したり、仲間をつくって交流したりして、本当によい結果が出て、まさに「成功体験」なんです。
今の学校の働き方って、「働き方改革」が強すぎて、誰かが「こういうことやりたい!」というものを「やってごらん」と言ってあげられないんじゃないかな。チームチームと言われ、通常業務の支援は手厚くなっているものの、自由度はほとんどないんじゃないかな。これは、いつも私が言っていることですね。つらい仕事は軽減できたらいいけれど、「これは!」と思うものを存分にできる環境も用意してあげたい。そして応援したいという思い。自分がしてもらってきたことを、今、逆の立場で返していきたいのです。
ただ、もう少しだけわがままさせてもらえるなら、本当は「学校広報」のノウハウも伝授したいんですけれどね。
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