幼稚園・保育園に学び、つなげていく

教育

 今週は、月曜日に幼保小担当者会があり、昨日・今日と幼稚園・保育園との交流会がありました。先週には園との引き継ぎもありましたし、来週には新1年生保護者説明会があります。

 幼稚園・保育園は、義務教育ではありません。義務教育ではありませんが、幼稚園教育要領(学校教育法を基に)と保育所保育指針(児童福祉法を基に)があり、幼児期に育ってほしい子どもの姿というものが国として示されています。小学校のカリキュラムとは違いますので、幼児期の終わりまでにこういうことを「〜なければならない」というものはありません。ですので、子どもの実態に合わせて育ってほしい姿をその都度設定して活動を組むこともありますし、各園で特色があったりします。

 仕事上、いろいろな園に関わらせてもらったり、様子をうかがったりするのですが、本当に園によって方針もさまざまですし、そして園や園児の雰囲気にも違いがあります。ユニークだなと思います。

 ですが、共通していえることは、どの園も、発達に合わせて、子どもが育つ活動を組み立てることがとても上手だということです。遊びの中からさまざまな育ちを生み出します。子どもが遊びに没頭できる環境を準備するのがとってもうまいんです。小学校の先生には、ぜひここから学んでほしいなと思っています。

 「小1プロブレム」「中1ギャップ」という言葉は、もうずいぶんと前に生まれ、問題となったものですが、教育業界もこの問題の解決に取り組み、小中一貫教育の推進や接続期カリキュラム(アプローチプログラム、スタートカリキュラム)などの研究や推進が図られてきました。私は、理論的なものを重視しますが、それがあるなしに関わらず、先生たちの交流がないことには始まらないものです。

 小中は義務教育なので、教育委員会の方で半ば強制的に施策として授業研究会を設けたり、交流会を設けたり、研修を行ったりすることで推進が図られてきました。学区というものがあるのも大きいですね。一方、園とはあくまでも任意になっているともいえ、スタートカリキュラムにおいてはなかなか取り組みが進んでいかない学校が多いのが現状でした。

 文部科学省からは、令和4年度から「架け橋プログラム」という名称で、「園と小学校で、子どもの姿をすりあわせ、育ってほしい10の姿をどのように育てていくかを検討したり、園児と児童の交流を計画したりする」ことになりました。(一応、子どもに関わる大人みんなで、ということになっていますので、保護者も入るといえば入ります)

 小学校でのスタートカリキュラムは、「安心した環境づくり」「新しい集団での仲間づくり」を支援するカリキュラムと言えます。これに対して、私はずっと言い続けていることがありますが、「3月までの子どもの育ちの姿を知らずして、勉強より遊びを優先したり、時間をゆるやかに設定したりするのは、意義をはき違える」ということです。6年生にランドセルをロッカーにしまわせるなど、過度なお世話をして赤ちゃん扱いするようなものを見受けることもあります。これは完全にまちがっているんですね。

 幼児期に、園の先生が育ててくださった子どもの姿で、私が一番強調したいのは「自尊心」です。遊びや生活の中で、子どもはたくさん「できること」が増え、自らの成長を歓迎し、自らのさらなる成長を望んだり、自分のもてる力を人に発揮したりすることに意欲をもったりする心情がふくらんでいます。

 ただ、その姿を見せるのに、新しい環境(場所と集団)は大きな障壁となるのですね。だから、その障壁ができる限り小さくなるようにすることがスタートカリキュラムのねらいなのです。子どもができることは、できるように時間を保障したり、視覚的な補助をしたりします。そういう機会をうばってしまっては本末転倒なのです。

 そして、小学校では遊びや生活の中から「学びの芽」を生み出し、それを自覚化させることが役目となります。材とかかわる「活動」によって、子どもには気づきが生まれます。その気づきを深めることが、小学校教師の「適切な関与」になります。気づきが生まれやすいように場を工夫するのもそうですが、「何をしているの?」「どうしてそうしようと思ったの?」と問うことや、うまくいかないときに「どうしたらいいかな?」と一緒に考えたり、集団の中で話し合いをもったりすることが大事ですし、一回で結果を求めるのではなく、試したり、繰り返したりするだけの時間の保障も大事です。

 担当者会のときに、保育園の先生から「小学校の先生は、ある意味すごいですよね。園では自由遊びや生活する時間があるから、子ども一人ひとりを見とれますけれど、小学校はみんな同じ勉強をしている授業の中で子どもの姿をみとっていくのですから。」と言われて、はっとしました。いや、はっとしたというよりは、ドキッとしたが正しいかな。いや、ぐさっときたかな。園の先生ほどの、きめ細かなみとりには全然いたっていないというのが事実だと思います。また、気をつけていなければ、「学力」をはかる眼差しだけで子どもをみとり、支援していることだってありえます。

 「学力」と言ってしまえば広く含まれるかもしれませんが、「教えることありき」で子どもを何か枠に当てはめようとしてばかりいては、子どもの本来もっている主体的な育ちの力を最大限引き出すことにはつながっていきません。

 いつもは一年生として最下学年で生活している子どもたちですが、昨日・今日はいつもとは違う輝き方を見せていました。本当になんとも優しい眼差しで、そして心配りをして年長児に関わっていました。園の先生もきっと喜んでくれたと思います。

 架け橋プログラム、もう少し充実させたいなあ。

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