職員はチームで動く。
若手を手厚く支援する。
これが、若手の「教師を志したときの実現したい姿」を「試す」チャンスを許せなくなっていないでしょうか。
「子どもを実験台にしてはならない。」
というもっともらしい正義ワードで、若手が失敗できない環境をつくっていはいないでしょうか。
主体性を育てるの真逆をいっていません?
主体性をうばわれた教師が、子どもの主体性を育てるという皮肉。
人と人との関わりについて、もちろんNGはあります。
だがしかし、正解があるわけではありません。
ですから、一人ひとりが、さまざまな知識と技能と判断によって、かかわりをもっていくべきです。
若手の先生の行動を丁寧に観察したときに、
・あたりさわりのないかかわりを探そうとしていないか。
・ベストではなくて、ベターな授業をこなそうとしていないか。
・ベストを考えるゆとりのない、与えられた仕事に時間を費やしすぎていないか。
ということを受け取ることはありませんか。
「ゆとり世代やらZ世代は、マニュアルが好き」
「仕事に情熱をもたない」
ということをたやすく語る先輩って、悲しいです。
では、どんな関わりをしているのでしょう?
・判断がつかないから、一緒に関わってサポートする?
・授業づくりが難しいから、学年主任が授業パッケージを提案する?
・学年集会で、子どもの心は主任がにぎる?
ただ、口で「がんばれ」とか「情熱をもて」なんて雑なことはしていないけれども、何かまちがったサポートをしてやいないかと反省してみることも必要に思います。
教育の本質を語るには、たくさんのトライアル&エラーが個の中に蓄えられていなければなりません。まずは若手の先生がそういった教育談義にのってこられる基盤をつくることが大事なのではないでしょうか。
昨日の記事の続きで言うならば、「組織としてのパフォーマンスを上げる」ことを職員みなで共有していくには、理念を理解できるほどの、教育の本質を語る力が一人ひとりに大事。であるから、その基盤のためには、仕事を任せる委ねるだけではない、教員一人ひとり本来の願いであるものを試すチャンスがあるとよいです。
持続可能な組織は大切。でも、創意や個人芸が価値を生み出すことも許容できる組織と地域を作っていきたい。
若手が目先で望んでいることを解決する支援は、本質的な支援ではないと私は想います。
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