「45→40分授業」への批判

教育

 文部科学省が小中学校の授業時間の見直しを検討しているというニュースが報じられました。実際は、結構前から議論されているものではありますが、このニュースに対してSNSなどで教員らからいろいろと賛否の声が上がっています。それらの声を拾って整理してみるとともに、最後に私の考えを述べます。

賛成の声

学校裁量の時間が増える

 文部科学省が検討している背景にある、「教育における学力や環境の地域間格差の広がり」に対応するため、「学校裁量の時間を増やす」ことに対して、肯定的にとらえている人が賛成をしています。現行の指導要領や次の指導要領における、教育の目標を達成していくためには、さまざまな課題があります。その課題を、日頃から実感している人にとってみると、課題解決の余地ができることは歓迎できる話です。

 午後を全て探求の時間にするなど、いくつか試行されているものもありますよね。教科担任があまり導入されていない小学校では実感しづらいかもしれませんが、教科担任としてそれぞれの持ち時間がある中学校教員にとってみると、コマ数運用を一気に捨てることはとても難しいです。そこを解決しながら、子どもの探究学習を支援することができるようになれば素晴らしいことです。

 また、学校によっては、ドリル学習や学年をとりはらった基礎基本の学習をするといった、子どもの個別最適な学びを保障するための取り組みも可能になります。

反対の声

40分では教えられない

 45分一本勝負で、授業パッケージをひたすら組み立ててきたベテランの教師にとって、「ただでさえ、45分で授業をするのはぎりぎりなのに、5分なんて削れない。」という理屈です。導入5分、自力解決10分、共同解決20分、まとめ5分、ふりかえり5分など、展開はそれぞれでしょうけれど、どこの何をけずったらいいのか分からない。また、ベテランの自分ですらぎりぎりなのに、これだけ若い先生が増えている中、40分で教えられるはずがない。といった感じです。

コマ数を減らせばいいじゃないか

 先の40分で教えられないと同じ考え方ですが、そもそものコマ数を減らせばいいじゃないかという意見もあります。かつかつの内容量と年間の決められた(指針)授業コマ数自体を見直す方向でも、「学校裁量の時間」をつくることはできるのではないかと。年間でコマ数や授業日数が減っても、子どもの生活リズムはそれほど狂いませんが、授業時間を5分縮めるというのは、大人の発想で、子どもにとってみると生活リズムに大きな変容を求めることになってしまいます。それは悪手ではないかと。

学校裁量の時間が増える

 ただでさえ、あれもやれこれもやれとビルド&ビルドで破綻寸前(いや、破綻している)の学校現場で、これ以上「工夫して新しいことやれ」とは何事ぞという呪いの言葉です。理念すらもう目を向けることができなくなっているほど、自転車操業になっている現場。今やれと言われていることすらやりきれていないのだから、新しいことなんて無理無理無理無理と。

下校時刻が早くなるわけではない

 そう、今のところ40分授業にしてコマ数据え置きならば、下校時刻を早めることができるのではないかと考えても不思議ではありません。でもこれは「働き方改革」の議論ではなく、あくまでも「柔軟な教育活動」を実施するための策なんです。ただ、「NHKの記事」によれば、下校時刻を早めたケースも紹介されていますから、学校によってはそういった読み替えをする場合もあるかもしれません。

私の意見

 賛成・反対と意見を紹介しておきながら、私はというと二項対立の中で答えるのが難しいです。どの意見にも共感できる部分があります。ただ、どちらかと言われれば「賛成」です。

 理由は、学校裁量で柔軟な教育活動を行うことこそ、今、真に必要であると感じているからです。ですから、私から言わせれば「45分を40分に」という発想自体が生ぬるいのです。

 そもそも私は「時間割」に反対なのです。これって、一斉授業で知識を伝達するのに効率がよいからですよね。子ども一人ひとりの学習進度は基本無視されます。間に合わない子はちゅうぶらりんのまま次の異なる教科の授業にうつらなければならず、学びをまとめたりふりかえったりすることができず学力が定着していきません。また、熱中している子にとっても、途中でぶつ切りに遭い、次の異なる教科が始まり「さあ、今からこれを意識しましょう」と促されます。とてつもなく受動的で器用な子だけが生き残れるシステムです。これが社会のルールに自分を合わせる力を身につけるというヒドゥンカリキュラムだと言えてしまう時代があったかもしれませんが、今はそうではないはずです。これだけ主体性を育てると強調しているのに、やっていることが矛盾しています。

 え?賛成の立場ではなくて反対の立場じゃないかって?そう聞こえますよね。時間割の発想自体に反対しているのだから、40分にしたら余計に訳わからないめまぐるしい生活を子どもに強いてしまうだろうと。・・・その通りです。ただ、「時間割」に拘束される時間そのものは、減るんですよ。だから、賛成なのです。両手を挙げて万歳なのではなく、前向きにとらえられるということです。45分授業の今でも、子どもの様子を見ながら、できる限り「休息がとれるよう」配慮していますから、40分授業になってもそれはどうようにしていきます。ただ、各学校の日課表の時間が「子どもの生活リズムにとって無理がないように」ということだけは、外してはいけないと強く思います。

 「ドリル学習?何言ってんだ!」という意見もありましたが、知識伝達コマとか、ドリル学習コマとかがあって全然いいと思っています。ただ、私が理想としている学習観のベースは、個々の関心ごとを探究する上で、それぞれに共通する基礎基本を必要感をもって学べる「知識習得の時間」や、協働的にコミュニケーションを図りながら情報を活用し課題解決していく上で必要な「スキル向上の時間」などを提供するコマです。私の理想とする学習形態の実現は程遠いでしょうし、現実的に、学ぶべき素養はたくさんあります。ただ、それを「好きに試す」「実現したいことに使う」という時間が、あまりに今の学校にはなさすぎるのです。そこを捻出するという意味では、今回の方針は歓迎すべきなのです。

 願わくば、もっともっと規定の授業時間やコマ数を減らしていってほしいです。そして、学習指導要領も、「最低基準」ではなく、昔のような「標準」という性格に戻すべきと考えています。

 私はあくまでも小学校の教員ですので、このような意見になりますが、中学校の先生はいろいろと悩ましいでしょうね。部活動の時間が増えるんじゃないかというおそれすらつぶやいている方もいらっしゃいましたが、まずは「探究の時間」をどうつくっていくかですね。近隣の高校とコラボしたり教育感を擦り合わせていくというのも面白いんじゃないかなあなんて、無責任なことを言ってみたりして。

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