定期ポスト

教育

 長文になるので、先に結論を。

 個人のブログで発信していることは、あくまでも一個人の考えです。もちろん私は組織に所属していますが、組織の考えではありません。

 組織の考えは、組織から情報を発信するので、ここから発信することはありません。それと同じで、ここで発信した個人の意見に対して、組織を通して感想や意見をもらうこともありません。

 たとえば、学校で起きたことや学校で話し合われたことについて、ここで語ることはありません。(「運動会があった」など、一般的なことは話題にするかもしれませんが)守秘義務がありますし、組織の考えと勘違いされてしまうおそれもありますから、語ることはありません。

 また、私の教育に関する投稿は、全国の教育関係の先生方とのやりとりの中から考えたこと、自分が収集した情報(書籍や講演、関係省庁の情報発信など)から読み取り考えたことなどが中心です。それが自分の勤務する学校や、所属する組織に適用できる考えかどうかは話が別です。

 ただ、どの組織でも、私がここで発信することのように、一人ひとりの人がさまざまな考えをもっていることは(当たり前ですが)知っておいていただきたいです。場合によっては侃侃諤諤と議論をしているかもしれません。その上で一つの方針を決め、共通理解し、納得できることできないことが多少あったとしても、同じ方向を向いて組織として働いています。

 過去、まあ具体的には言いませんが、私が自分の家庭のことを保護者という立場で発信した内容について内部牽制に遭ったこともあります。ですから、定期的にSNSから先制してこういう「ことわり」をポストするようにしています。


 私のweb上での活動は、大学生の頃からでかれこれ20年以上になります。

 当時、geocitiesという誰でも簡単にホームページを開設できるウェブホスティングサービスがあり(その懐古は、今度別の記事にしたいくらい)、そこで個人HPを立ち上げました。番地までは忘れましたが、アスリート・アテネの住人でした。そこでは、日記と、空手日記とスキー日記をつけていた記憶です。

 geocitiesはその後Yahoo!に買収され、当時のHPを継続することができなくなり、2004年にはウェブホスティングサービスのlolipopでサーバーレンタルすることにして、新たにwebサイトを立ち上げました。そちらでもブログは継続していました。

 2009年7月より、X(旧Twitter)を始め、また同じ時期にlolipopユーザーが無料で使えるjugemブログにおいて、「実名」での情報発信を始めました。

 web上で実名で情報発信することには、さまざまなリスクがあるということは承知しています。実名だからこそ、発信する言葉には責任をもち、気をつけて選んでいくことが必要になります。これには、私は二つの意味がありました。

 一つは、インターネットの使い方に対する自分の姿勢をずっと正し続けるためです。今でもたくさんの社会問題が起きている通り、SNSなどが人間の心の闇を吐き出したり共有したりするものになることがあります。

 寓話「王様の耳はロバの耳」は、「勇気をもって正直に言う」ことや「人に対して寛大な心をもつ」ことが教訓だと思いますが、あの話と今のSNSはどのような関係にあるでしょうか。床屋に対して王様はあまりに強大な権力です。そして床屋は、「誰にも聞かれない穴」に対して自分のどうすることもできない心を吐き出していました。結果、穴からの声は漏れて王に知られてしまうわけですが。床屋は、王様を侮蔑したかったわけではありません。王様を恨んでいたわけでもありません。誰かに教えたかったわけでもないし、共感してもらいたかったわけでもありません。どうしようもない自分の衝動をどうにか落ち着かせたかったのですね。一方、王様は、自分の耳を隠したりそれを誰かに話したら殺すと脅したりするような行為を恥じ、床屋を許します。(この行為に対して神アポロンが、王の耳を元に戻したという続きの話もあります)今のSNSの社会問題とは、似て非なるものだと私は思います。床屋のように「守ろう」「言えない」と自分を律し、限界まで耐えようとしたり、絶対誰にも伝わらないような方法ましてや相手に伝わらない方法を選ぼうとしたりしているわけではありません。立ち止まることなく、反射的に投稿してしまったり、なんなら金稼ぎや自己顕示欲を満たすために積極的に投稿をしてしまったりしています。

 精神的に自分がとてもつらいとき、それを投稿すると、それに共感してくれる人がいます。これは、SNSのものすごくよいところだと思います。距離的に遠くても、そして見知らぬ人でも、心を寄せてくれる、助けてくれる人がいるということです。これと、「嫌なことがあったら暴言を言ってよい」とはきちがえてはいけませんよね。同一視はできません。(ネットに弱い人は、ここを同一視している節がありますが)

 日本は民主主義の国です。そして言論の自由が認められています。だからこそ、私は「批判」というものに挑戦し、言論するということをおそれずに行なっていきたいと考えました。ヘイトと批判のちがいをしっかりともてるようになる、いつでも自分を戒めるということが、インターネットを活用しながら生きる上で、大事な姿勢だという考えです。

 もう一つは、匿名の発信よりも実名の発信の方が、「責任ある情報」である可能性が高い、あるいはその人個人の考えの特徴として捉えやすいためです。私の個人の考えに対して賛否をはっきりもちやすくなりますし、批判しやすくなりますから、議論を生むことができます。

 また、個人からずっと情報を発信していくということは、外部の方と接点をもちやすくなりますし、メディア対応にもつながります。個人に対して仕事の依頼がきたり、共同のプロジェクトの立ち上げをしたりすることができます。そういった場合もその件について情報を自ら発信することができます。メディアからの取材については、勤務時間外でも「取材報告書(名称を忘れました)」の提出は必要になりますが。万が一、(あってほしくないけれど笑)よからぬことでメディアから部分的に切り取られた情報でたたかれたとしても、自分の言論の総体をもちあわせているということも強みにはなるでしょう。

 以上、長文になりましたが、理知的でかっこよく気取った部分だけ見せるとか、そういった類のネット人格を築き上げたいのではなく、あくまでも「人間くさい」ブログ運営をしたいので、今後ともよろしくお願いします。教育関係の記事が続き場合に「そろそろ」と定期ポストをするようにしています。

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