今、4年生の社会科で「健康なくらしとまちづくり」の学習を進めています。ほぼ単元末なので、これまで学習したことをふりかえり、自分や自分たちにできることを考えていく局面に入っています。
横浜は昨年まで「ヨコハマ3R夢プラン」を策定・実施していました。3R夢は「すりむ」と呼びます。
- Reduce(リデュース)・・・発生抑制。ごみそのものを減らす。
- Reuse(リユース)・・・再使用。何回も繰り返し使う。
- Recycle(リサイクル)・・・再生利用。分別して再び資源として利用する。
最近は4Rとか5Rとかさらに細分化して言われることもありますが、ヨコハマ3R夢プランは、およそリペアやリフューズも含んだものとなっていました。
資源化できるものを、そもそも「ごみ」と呼んでしまうことも、もしかするとよくないのかもしれません。資源化できるものは、技術発展に伴って種類が増えてきました。その分、コストも高くなってきています。今後は、再資源化のプロセスの効率を上げることよりは、再資源化しやすい状態の製品づくりの技術を上げていくことが必要になると思います。ただ、それは研究者がやっていくことなので、一般人にできることはありません。今後も施策を理解して、それに応じていくことが大事でしょう。
私たち一般の人が考えるべきことは、やはりリデュースとリユースなんですよね。ここにどれだけ子どもたちは関心を向けられるでしょうか。大人だってなかなか難しいことです。
家計とにらめっこして、不要なものをできるだけ買わないようにするのは、意識としてはリデュースを行なっているわけではありません。仮に金銭的に余裕があったとしても、リデュースを考えていけるかどうかです。低価格で使い捨てのものを買い続けることと、品質が高いものを長く使い続けることとを比べて判断していく力が求められるでしょう。そういう思考力を子どもにつけさせる必要はあるでしょうが、それ以上にまず大人が範をを示していかなければなりません。
リユースもそうです。リターナブル瓶のように業者が回収して行うものもありますが、自分たちでもできることを考えていくことも必要です。こちらも、メルカリやジモティーを使うにしても「小遣い稼ぎ」という意識だけでなくほんの少しでも「リユースを自分が積極的に進めている」という意識をもてるとよいと思います。
資本主義の中で、なかなか難しい問題ですが、「環境にやさしいPC」だの「環境にやさしいスマホ」などをうたって毎年マイナーチェンジした製品を出し続けられています。環境に一番よいのは新製品を出さないことなんですけれど、私たちは素晴らしいプレゼンに心躍って、まだまだ使える製品を手放し、新製品を購入してしまいます。下取りプログラムでリユースに回されるのは、海外へ行っているのですよね。ここにも日本人の罪深さがあると感じます。
さて、私は、総合的な学習の時間に、リサイクルの学習をするのがあんまり好きではありません。牛乳パックをとかして紙漉きしてハガキを作る体験など、「体験」として通過するのはよいと思いますが、学習の本丸にはなりえないと思います。ペットボトルキャップやプルタブ集めなどもいろいろとありますが、それより本来的に意識していきたいのはリデュースとリユースなんですよね。
リデュースの中で、フードロス問題はとても重要だと思います。ただ、フードロスについて調べ学習をしてポスターだので人に呼びかけるという活動は、正直あまり賛成しません。自分や自分たちが実際にフードロスに取り組んで成果を上げることで初めて、第3者に向けて語れるだろうと感じるからです。
私自身、ふりかえってみて、なかなかに「範を示すことができていない大人」だなと痛感します。
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