ドレスコードを考える

教育

 私が表題のことを考えるきっかけとなったのは、もう10年近く前になるかと思います。実悠の保育園の懇談会や面談に行ったときのことです。保育園の先生が、いつも通り子どもたちに接しているエプロン姿で出てきてくださったんですね。私はこのときとても嬉しかったんです。

 私が何を目的に保育園に足を運んだかって、我が子の保育園での様子についてうかがったり、園の先生の我が子へ向けた眼差しをうかがい知ったり、教育観を共有したりするためです。

 園の先生が、そういうことをねらってスーツ姿ではなくあえてエプロン姿で出てきてくれたのかは分かりませんし、まあそれほど深い考えがあったわけではなくおそらく文化的なものなのだとは思います。でも、私には、これが目的に照らし合わせて最適でありがたかったし、またドレスコードについて考える機会になったのでした。

 小学校では、授業参観のとき先生方はスーツに着替えます。これは、目の前の子どもではなく、保護者のためにスーツに着替えるわけですよね。家庭訪問でもなく儀式的行事でもない、日常の中、「信頼感」を演出するため、あるいは敬意を示すためにセミフォーマルな服装に着替えるんです。演出も敬意もどちらも大事だとは思いますが、これを「保護者は望んでいるのか」ということだって考えてよいと思うようになりました。

 受け止め方は人それぞれですから、”無難に”セミフォーマルにしておいた方がよいのはもちろんわかってします。ただ、私は親として我が子の授業参観に行ったとき、どちらかといえば「いつもの子どもに接している様子でいてほしい」と思います。先生のことを見にいくわけではなく、あくまでも我が子を見にいくわけですから、我が子がどうやって学習しているかに関心がありますが、上述したとおり、「先生が我が子へ向ける眼差し」もうかがい知りたいという願いがあります。それは面談とは違いますから、我が子が先生へ向ける眼差しとも合わせてうかがうことができます。ですから、できる限り日常的であってほしいと思うのです。保護者のために、目の前の子どもたちにわざわざ壁をつくらなくていいと。

 じゃあ、「いつもスーツでいればいい」と考える方もいらっしゃるでしょう。私も毎日スーツで過ごしていた時代がありました。でも、子どもたちの具体的に発せられた言葉からも、子どもたちはスーツでない私を望んでいることははっきりと分かりました。

 「制服」といったものの効用については、さんざん昔から心理学でも証明されてきていますよね。警察官が制服を着るのも、ガードマンが警察官に似た制服を着るのも理由があります。制服は所属感とか集団心理を統率するのに効果的だし、相手には信用・威圧などを与えるのに効果的であります。学校の教員はというと、セミフォーマルを強要されることはあったとしても制服はありません。組織的にプラスに働く側面がどれほどあるかというと、実はあまりありません。

 確かに中学校で儀式的行事のときにジャージ・サンダルで参加している先生がいて「サイテーだな。」と思ったことがあったのは記憶しています。スーツが悪いわけではないんです。

 私は、「儀式的行事」の際、子どもに身だしなみのこと、ドレスコードのことをていねいに指導します。実際にスーツを着た状態からやってみせるなどして、「たとえばシャツが出ていたり、ねぐせがぴんとはねていたらどう?」などと話します。ちょっとした身だしなみは、日頃から気をつけていくとよいことも話しますが、ときにイベントによってはドレスコードというものがあることを話します。(もちろん、立ち居振る舞いについても)そういう、メリハリがある方が、わかってもらいやすいというのもあるなと考えます。

 最近、私がスーツに着替えるタイミングは、若手の先生の授業研のときです。初任者が授業をするときとか。その人にとって、きっと「ライフイベントになる(と感じている)」と思うからです。一世一代の大勝負ではありませんが、きっと教員人生でずっと忘れることがない大事な1時間になるのだと思うからです。だから、私はセミフォーマルとしてスーツを着ます。その人のライフイベントに参加させていただく上での礼儀だと思うからです。

 授業研はだいたいスーツです。外部講師の先生が指導してくださるとき、講師の先生もきっと私と同じような気持ちで「礼儀」としてスーツを着てくるのだと思います。ですから、私も失礼のないようにスーツを着ます。でも、外部講師のいない校内の授業研であれば、私は「研修目的」であれば着替えなくてよいと思います。授業者もわざわざ着替えなくてよいし、私も着替えなくてよいと思います。変にかしこまることなく、目の前の子どもたちに合わせればよいです。(それでも、授業者がスーツになるなら、私は着替えますが)

 人のライフイベントに立ちあわせていただける機会って、とても光栄なことです。その意識とドレスコードを合わせて考えると、いろいろしっくりくるのです。

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