空手を習っていたとき、よく「痛みを知ることで、人を傷つけることの重みを知る」学びがあると言われていました。武道としてはそのような精神を尊び、礼に始まり礼に終わることや、自分の弱さを知り心身を鍛錬することが大事であると考えていました。
重みを知るのであって、人の痛みが分かるようになるのではないと私は考えています。
想像力を働かせるというのももちろん大事です。ですが、それでもなお「自分には推し量れない」という謙虚さをもつべきだと考えています。
だからこそ、相手自身を尊重し、相手の目線に立って支援を考えようとする姿勢が大事だと思うのです。
人生で一度も風邪ひいたことがない人は、風邪のつらさはわからないでしょう。
勉強がすいすいとできて大人になった人は、勉強が困難な子どものことがわからないでしょう。
優位な認知プロセスが異なる人の、困難さはなかなか分からないでしょう。
このように、自分とは異なる人生を歩んでいる人の、心の苦痛などはなかなか分かるものではありません。でも、私たちは、それを分かろうと努力したり、知識をつけて寄り添おうとしたりすることができます。
でも私がもっとも気をつけているのは、そのような相手ではなく、むしろ「自分と同じ境遇」の人に対してです。
なぜなら、同じ境遇ならば同じ感覚であると「分かった気」になってしまうからです。
共感はとても大事ですが、「同じ!」とか「分かるよ」というのはちがうのだろうなと思うのです。
たとえば私は20〜40万人に一人しかならない、とても珍しい「急性前骨髄球性白血病」です。周りに同じ病気で苦しんでいる人は一人もいません。でも、日本中には同じ病気の人がいるんです。
ところが、その珍しい境遇の人ですら、「同じ苦しみ」では全然ないのです。抗がん剤の副作用も本当に人によって出方が全然違います。私にとってほとんど無傷で済んだ抗がん剤が、他の人にとってみると命の危険にまで達することもあるのです。
全く同じ刺激でも、人によって痛みが異なることもありますよね。痛みに強い人が偉いわけではないんです。私はそう思います。
もう一つ、私が大事にしていることがあります。
それは、「つらい」と言えない人がいるということに気づける人でありたいということ。
がんばって仕事している人って、周囲からも「仕事できる人」とか「がんばれる人」と認められがち。それはいいことである一方で、その人、本当は心がいっぱいいっぱいだってこともあるんです。
自分の弱さを見せられない人もいます。生きにくいといえばそうかもしれませんが、でもその人にとってみれば、そうやって生きることが自分を高めてきた証でもあったりします。
笑顔のままで泣いている人を見つけられる人でありたい。
もちろん、助けになろうとずけずけ踏み入ることはせず、支援の仕方はまた相手に応じて考えていけるように。


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