自由進度学習批判

教育

はじめに誤解のないように申し上げておきます。

私は自由進度学習に反対しません。哲学の部分に、大いに賛同します。

また、チャレンジの足を引っ張るつもりもありません。

自由進度学習とは

自由進度学習は端的に言うと「子ども自らが学習の計画を立て、自分のペースで学習を進めていく」というものです。

現在、行われているものでよく見聞きするのは2つの形態があります。

一つは、「単元内自由進度学習」です。もう一つは、「2教科にまたがった合科単元内の順序自由学習」です。

単元内自由進度学習は、「個別最適な学び」「学びの手綱を子どもに委ねる」といった言葉とともに、あちらこちらで実践が始まっています。

単元の1次で、学習の課題をつかませ、学習の計画を立てます。2次では、子どもたちがそれぞれの方法・形態で学びを進めていきます。一人で調べ学習をする子もいれば、数人で話し合う子たちもいます。3次(単元末)に全体で共有をして、学びを深める。大まかにはこのような流れの実践が多いです。

合科単元は、研究校のようなところでしかまだ見聞きしません(周囲では聞かない)が、主に算数と理科などで行っているようです。算数で学習した重さの学習をすぐに理科で実践をする流れや、理科で実験をするときにより正確に行えるように必要感をもって算数を学習するといった流れなど、それぞれの単元をモジュールとして細分化し、それをどの順でも行えるようにするといったものです。

誰にメリットがあるか

自律的に学びに向かうというのは、子ども自らが問いをもち、意欲を高め、見通しをもって学び進んでいく姿です。これは、今の時代では一層誰にも身につけていけるとよい理想的な姿です。

ただ、「自由進度学習」を授業形態として取り入れただけでは、この姿にはなりにくいです。一斉授業形態における教授型の授業、すなわち「教師が全部教える」「教師が全部コントロールする」授業よりはマシになるかもしれません。

いえ、果たしてそうでしょうか。ひょっとすると一斉教授、知識偏重主義の授業の方が、身につくものが多い可能性もあります。

自由進度学習で一番の恩恵を受けるのは、学力が高い子どもたちです。今まで、平均あるいは支援を要する子どもたちに確実な学びを提供するために、あらゆる支援がなされてきた授業の中で、もうできている子、分かっている子は、ただただその進度に合わせることを強いられてきた側面があります。もちろん、反復学習にも大きな価値がありますから、学力が高い子たちがこれまでの授業で何の価値もない時間を費やしてきたわけではありません。それでも、もっと深められる「個人追究型の学び」が保障されていれば、もっともっと有意義な時間になったことは否めません。

マイペースは保障されるのか

「自由進度」という言葉を聞くと、普段の授業の速度ではついていけない子どもが、自分のペースで学びを進めていけるようなイメージを持たれる方が多いです。

しかし、単元の時数は、現在のところ結局変わらないのです。特別な手を打たなければ、これまでの進度でついていけなかった子にとって「自由に」と言われても困ってしまうだけです。

また、多くの子どもにとっても、これまでゲートキーパーである教師がタイムマネジメントも行っていたために規定時数の中で一定の学習成果を上げてきたのも事実です。

本当に「自由進度」を推進するのであれば、これまでに割り当てられていた授業時数の1.5〜2倍の時間が必要になるでしょう。

支援のリソースは足りるのか

教員の授業準備は、これまで以上に増えます。また、一人ひとりの学習の進捗状況の把握を「ワークシート」での安易な自己チェックに頼るわけにはいきません。

これまでの授業であっても、授業中に教師が特にみとらなければならないのは表面的な活動ではなく、一人ひとりが今何を思考しているのかということです。全員に同じ活動に取り組ませていた授業では、教師が見通している進度の中で、およそどのような思考をしているのかを子どもの表情や手元の動きなどでうかがい知ることもできましたし、声かけすることもできました。

自由進度学習において、一人ひとりが「自分のペース」で学習することを保障するというのであれば、子どもの思考のペースも尊重するべきです。それは、「今どこまで進んだ?」とか「今、何考えているところ?」といった声かけでは全くかないません。

課題をつかむ1次においても、理解が難しい子もいます。学習順序や方法に迷う子どももたくさん出てきます。そこを自己決定していく力は確かに大事ですが、そのためにも一人ひとりへの手厚い下支えが必要になります。それだけ、教師には相当の「覚悟」が必要です。

到底、一人でこれを行っていくのは無理があります。

気をつけていないと、いともたやすく「はりぼての自由進度学習」授業に陥ります。枠だけ与えて、教師はそれぞれが学んでいるところを練り歩いては、「進む」ように助言をしてまわる光景です。

課題と正対してチャレンジしたい

私は「自由進度学習」は、ネーミングセンスがとっても悪いと思っています。「進度」に着目している時点で旧パラダイムだからです。

また名前と、本来目指す姿すなわち教育の哲学がかみあっていないと思うからです。とっつきやすいネーミングである一方、上述したように課題を見えづらくしてしまいます。

一人ひとりの個別探求を保障するのであれば、「立ち戻る」も保障することが大事です。算数で学習したことを理科の学習内に適用した際「おや」となったものをもう一度算数に立ち戻って学び直すなど、本来の探求にはそういった流れが自然と起こります。同じ実験を繰り返し行いたいということも出てくるでしょう。それでこそ、初めて「自律的に学び進める姿」が育っていきます。

それだけ単元時数にもバッファが必要であること、そしてそれぞれの思考をつかみ適切な方向を下支えするような声かけや環境づくりなど多くのリソースが必要であることは改めて明言しておきます。

協働場面や対話のあり方など、授業中の教室の風景にイメージをまずはもつことですね。

教科書もそのような「学び空間」の例を示してくれると、子どもだけでなく多くの先生にとっても助けになるのではないかと考えています。

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