中教審 教育課程部会 英語WGと特別活動WGがありました。午前と午後と連続して傍聴しました。
その雑感。今回は、批判的な部分になりますが、いつも通り「学習指導要領ができあがってから眺めるよりも、委員同士でどのような話し合いがされているのかを目撃することの重要性」を肌で感じていました。結果に残らなくても委員が指摘していることがあったりしますし。
外国語WG
AI時代に外国語を必修とする「本質的意義」の再整
理委員の発言も本当にいろいろですが
私としては資料に示されているこの「本質的意義」は、ほとんど本質的ではないと感じます。
鈴木委員の指摘によれば
外国語を学ぶことで、自分の考え・意見の形成・整理が促進されることや、多面的視野の広がりにつながるという部分に関して、近年の研究成果はまちまちである
ということ。
そこは注意していかなければならないでしょう。
本質的意義の内容を見ていくと
「国語(母語)でも十分にいえること」
「外国語を英語と決めていることと辻褄が合わない」
ということが浮き彫りになります。
「言語そのものへの気づき」「言語操作へのメタ認知」ということに本質があると思いますが、何より「AI時代」にふりまわされすぎ感が否めません。
特別活動WG
理解が追いつかないのか、それともやはり疑いの眼差しが強すぎるからなのか判断に悩みますが、特別活動は今回の指導要領改訂でかなり注目すべき領域であるものの、一番空中分解している印象を受けています。
まず、 教育課程全体の中で「道徳」「総合」「特活」が果たす役割についてのイメージ図(6ページ)が、謎すぎます。
こめじるしで関係WGでの議論を踏まえて修正することが前提と注釈があるものの、総合では現時点では資料に上がってきていないし、道徳はまだ始まってもいない中、
「特別活動界隈が勝手に整理したがっているだけでは?」
という疑念があります。
委員の中からも指摘がありましたが、
- 総合的な学習の時間は内容が決まっているわけではない
- 「特別の教科 道徳」と書かれているが高校にはどう適用する?
- 「自己の生き方・在り方の思索」が中心課題(実現される基盤的姿)ではない
という点からも、カリキュラム連携イメージが破綻しています。
それにしても英語の定訳を定めるという案が出ていますが 特別活動をTokkatsuとするというところがよくわかりません。
かっこがきでは Student-Led Activities for Civic and Personal Development と書かれてはいますが、これは世界的にみても、日本の特別活動はある視点から「特殊かつお手本となる教育活動」であるという意味合いに感じます。
これは私の勉強不足なのでしょうが、そういった言説は初耳でした。
それにしても「民主的な人間」「社会参画」という言葉はたくさん出てきますが、一度もシティズンシップというワードが出てこないことに私は違和感があります。


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