2025年も終わろうとしています。
みなさんにとって、どんな1年間だったでしょうか。
息子は小学校卒業、そして中学生になるという節目の1年間でした。
私は、腰を痛めてからの一年のスタートでした。
それからすぐに、というかすでにかもしれませんが急性前骨髄急性白血病(APL)を発症し、死ぬ寸前みたいな状態で即日入院しました。
輸血と抗がん剤の毎日。無菌治療室での闘病生活となりました。
1ヶ月も入院して、退院したらおしまい!かと思いきや全然そんなことはなく。
最初を乗り切れば治る、というわけでもなく、体のどこかにほんのちょっとでも残っているとまた無限増殖をしてしまうから再発してしまうと。
だから体の中に残っているほんのわずかな白血病細胞を駆逐すべく、その後も何回も入退院を繰り返すことになりました。
「治療プロトコル」という言葉も初めて知りました。プロトコルなんて、IT用語だと思っていたから。
要するに、治療手順はもう決まっているんです。何日間かけてこの抗がん剤をこうやって入れる、そして体が弱るから(免疫力が低下する)、それが回復したら次の決められた治療をする。そんな感じです。
寛解導入療法で血液中の白血病細胞が見えなくなったら、次はPCR検査でも検出されないところまでもっていくと。それが地固め療法。
地固め療法は4回と言われていたけれど、これは大きな治療プロトコルでのことで、実際の入退院はもっとありました。
寛解導入療法が終わった直後に主治医に聞いたときは、「できるだけ畳み掛けるように、間をあけずに」とおっしゃっていたのですが、抗がん剤を使うと血液細胞はがくんと減ってしまって、それがある程度回復しないと次の抗がん剤が使えないということで、結構退院期間が空いたこともありました。それがありがたいようでもあり、「あわよくば7月末で終了するのでは?」という期待が裏切られることにもなりました。
結局、10月までかかった入院生活。退院したときの晴れ晴れした気持ちは今でも忘れません!・・・というのはうそかも。もう忘れました。というか、心からの安心はありませんでしたから、ただただ「もう入院することはない!」という決意のようなものでした。
それからは「復職」を急がされるような感じになって、体力回復に努める毎日でした。
一度は、ランニング(といっても、他の人の早歩き程度の速さでしょうが)ができるくらいまで回復しました。
順調に進んできたかと思った12月に、突発性難聴におそわれ、今度はまたちがった病院へ緊急入院しました。
自分でも信じられません。マーフィーの法則なのかと思いました。「あれはなりたくない」って思っていた病気に次々なってしまうのですから。
「めまい」というものの定義が180度ひっくりかえるくらい、すごいめまいに襲われて、立っていられないどころか動けない状態になりました。耳も全然聞こえないし。
そしてまた点滴の毎日。病院食。そして、高気圧酸素療法という新たな治療。
入院中に特段回復した様子はありませんでした。でも、めまいは少し落ち着いて、つかまり立ちができるようになった感じでした。
休職中で、どことも電話だの連絡することなく療養できたことは不幸中の幸いでした。
2週間ほどして、どうにかめまいは回復してきました。
外も歩けるようになりました。
年末には(駅まで歩いた程度ですが)家族旅行にも無事に行くことができました。
右耳は、かなり聴こえるようになってきました。
右側から話しかけられると何と言っているのかは分かりませんが、話しかけられているということがわかるくらいには聴こえるようになりました。
耳鳴りは今もずっと続いています。
それでも、今、痛いところとか苦しいところがない状態で、家族と年を越すことができます。
身の回りの人には、感謝の気持ちでいっぱいです。
たくさん、応援してもらい、支えてもらいました。
妻には、たくさん苦労をかけてしまいました。
「なんだったんだろう、このいちねん」
今だってずっとそう思っていますが、それでも、人に対しては感謝の気持ちばかりです。
「健康に気をつける」って一年の抱負にしても、どうにも抗えない病気もあるものなのですね。これはもう祈る他ないのかもしれません。
それでも、もうこんな一年は2度と過ごしたくない。
周りにも心配をかけたくない。
いろいろ人生を深く見直す気持ちになった一年でした。
みなさま、1年間ありがとうございました。
どうぞ、よいお年を。


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