「みんな仲良く」は何のため

教育

 幼稚園・保育園や学校の教員は「みんな仲良く」を押し付けてくるという言説を聞くことがあります。

 たしかに世の中の学校を見渡してみると、いまだに「団結力」とか「学級の絆」などを最前面に押し出してそれが至高かのように指導する教員もいますし、そういった同調圧力を助長する学校行事などが行われている面があります。

 休み時間に全員で同じ遊びを強要したり、一つの行事に向かった取り組み方と思考を均一化したりするようなこと。これは過度の同調圧力で、危険ですし、応えられない子どもが不幸になりえます

 ただ、「団結」といった行動目標を共にして協調していく力の重要さや、「絆」という徳の大切さは、決して否定されるものではありません

 過去の同調圧力の強い学校生活への負の経験から、同じ轍を踏ませたくないという思いをもたれる方はいらっしゃるでしょう。その上で、子どもたちにはどのような関与が適切であるかということは、ちょっと冷静に考えることが大事です。

 何か子ども同士でトラブルがあった際、学校では双方の話を別々に聞きます。以前投稿した「いじめ防止対策推進法」をもとにした「いじめ防止基本方針」にそってそれぞれの主観を受け止めます。例えば暴言暴力などは事実をしっかり整理して指導しますが、子ども自身が心に抱えた思いをどのように整理し、次に向かわせていくかが教師の役目です。

 「あの子とは関わらないようにしな」とか「クラス全員と仲良くなるなんて幻なんだから、自分が付き合いやすい子とだけ付き合えばいい」とか、付き合いにくい人へのあしらい方など処世術を助言するということを教師はしません。もちろん、子どもの思いを聞き取り、その子の思いを尊重しつつ、心の整理がついていく時間(と支援する時間)から「ちょっと距離をおいてみてはどうかな」と伝えたり、物理的にそのような距離をとれるようにしたりすることはあります。先の暴言暴力のようなはっきりしたものがある場合は、何より「緊急避難」も大事です。

 それでも基本スタンスに上述のようなものがないのは、「衝突回避能力」ではなく「衝突回復能力」を育てることに重きを置いているからです。

 何より、子どもたちの発達段階において基本的には、「友達を増やしたい」という欲求は強く、社会性の基礎段階において関係構築の練習をしたいと願っています。またトラブルが起きても「謝ってくれれば気が済む」という子が多数派で、それは対人スキルがシンプルだからこそであり、関係の回復経験を積ませることがとても大事な時期であります。

 みなが同じ気持ちになりましょうということではないんですね。学習そのものが個人の幸福追求の礎になると同時に、対話的協働的な社会の担い手・創り手として成長していくための多様性の認識と尊重につながっていくものだからこその指導です。

 大人は、自身の経験から短絡的に処世術を子どもに適用してはなりません。人間関係にトラブルを抱えたとき、「避難を必要としているか」「問題解決を望んでいるか」の両面をみとり、子どもの立場に立って支援策を考えていくことが大事です。

 

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