「YouTubeやTikTokを一日中観てしまう。時間制限していますか?」
こういった悩みと質問をされる方が多くいらっしゃいます。
子育てする上で、どうしても親の手から離れたところで過ごしていて欲しい時間というものはあります。仕事をしたり家事をしたりする必要があるからです。また、たまには自分の余暇だって確保したいと考えます。
デジタルデバイスが、親の目先課題を効率よく解決してくれる一番の理由は、「安全に集中して過ごしていてくれるから」というものです。
家中を走り回ってどこかにぶつかって怪我をすることもないですし、タブレットは誤飲もしません。見てないうちに物やかべを破壊することもありません。
やや心配なのは、「静かすぎる」ことです。本当にデジタルデバイスの前にいるかどうかがわからないほど集中していることもあります。
問題の本質は「起点」にある
子どもとデジタルとの距離はどうしたらよいのかと考えがちですが、多くのケースで、これはデジタルの与え方や接し方の「起点」に問題があるのであって、本質的な問いではないといえます。
幼児の生活時間は「発達の時間」
幼児と大人の決定的な違いは、幼児が発達期であるという点です。大人は生活・環境の多くが精神衛生に影響を与えますし、一部が学びや成長に関与します。これに対して幼児は、生活・環境のほとんどが発達に影響を与えています。
子どもは、もてる感覚器を総動員して情報探索し、試し行動をし、反応を学習します。
親は、知育的な観点から「この子にとって、今、何を与えるべきか」と考えることもありますし、発達心理学的な観点から「この子は今、何を求めているか」「何に対して情報探索しているか」を見極めようとすることもあります。
「遊び」は探索そのもの
「子ども中心に時間が回る」
こう感じている方は、まさに上記のような考え方をおもちの方です。それに合わせられるものもあれば、どうしても都合がつかないものもあります。忙しいときに限って、子どもが駄々をこねて大泣きするなんてこともありますよね。
子どもの生活時間は、親の都合でコーディネートできるものではないんですね。しかしながら、親の意図でコーディネートすることはとっても大事なことです。
生活のルーティンを作ることは親の大事な仕事です。起床時刻、食事の時間、就寝時刻や睡眠時間など。心身の健康な発達のための基盤づくりは欠かせません。もちろん、起床などの要素についても、目覚め方・洗面・着替えなど具体的に係るものがあり、環境整備や親の働きかけ方などの一つ一つにも良し悪しがあります。食事だって、座らせる椅子の形状、咀嚼の仕方、飲み込み方、食事内容、食器なども同じです。
遊びの時間は子どもにとって非常に重要です。幼稚園が登園からしばらくの時間が自由遊びの時間になっていることからも分かるように、子どもにとっては「自由探索の時間」です。年齢が幼いほどに、「遊び」という感覚自体がなく、生活と地続きであり、時間そのものに区切りがあるわけではありません。
ただそれでも自由探索は感覚器を動員しながら世界の輪郭を発見したり、自分にできることに自信をつけたりしていく時間になります。
子どもは世界を通して学ぶ存在
本来であれば、子どもが感覚器を発達させながら自由探索できるような場をしかけ、子どもの探索に合わせて一緒に遊んでみたり、近くで安全の見守りをしたりすることがもっとも望ましいです。
これは小学校教師としても「学習」の場面で実感できます。たとえば問題を自力で解く時間に、困難そうにしている子がいた際、横にいてあげるだけで解決ができることがあります。それだけ「安心感」は自律的な探索の力につながるのです。
私は、ジャン・ピアジェが示したように「子ども自身が知識を構築する存在である」という立場をとっています。したがって、上述の「この子は、何に対して情報探索しているか」というのは表現としては誤りで、「この子は、何を通して情報探索しているか」をみとるところから始まるのだと考えています。
すなわち「何」という事象や概念の輪郭は、大人は持っていても、子ども本人はまだそれを獲得していないのです。ですから「何」を大人がすぐに決めてかかってしまうと、子ども自らが獲得していくであろう概念の範囲を狭めてしまったり、輪郭を矯正してしまう可能性があります。
デジタルが与える刺激と限界
デジタルデバイスは、視聴覚機器の一つですから視覚や聴覚から情報を受け取ることにすぐれています。画面が四角だけど画面に映っているものが三角だとどう認知するか、あるいは平面の画面で3Dの空間認知の能力がつくかといったことは、認知科学などで研究が進んでいます。
象徴理解が未発達な低年齢では、こういったことができない、あるいはとても困難です。たとえば、ぬいぐるみの扱い方の動画を見て、それを実物で再現できるかといったものです。2歳くらいまではかなり困難であり、3歳くらいで実物とセットにした体験で可能になってきます。
「濃度」の問題として考える
発達にはインプットだけでなくアウトプットが重要であることは広く知られており、その観点からもデジタルデバイス漬けについて批判は集まりますが、それはいったん置きます。
乳幼児期のデジタルデバイス漬けが「害」かどうかは判断が分かれるかもしれませんが、すくなくとも認知発達の「濃度」で論ずるならば、「かなり希薄な時間になる」可能性が高いと言えるでしょう。
ただし、認知発達が「かなり希薄」な時間になるかどうかは、子どものおかれている環境に依存します。デジタルデバイスを与えていなくても、何もないがらんどうの空間で放置されたとしたら、同様に希薄になります。
赤ちゃんがあらゆる物を口の中に入れて確かめるのも、大事な情報探索なんですよね。だからこそ、口に入れないようにするのではなく、口に入れてはいけない大きさのものを環境から排除したり、部屋中のあらゆるものを除菌しようとしたりします。
適した時期に適した環境が必要であることは、理論だけでなく、子どもの観察の中から実証されていくべきものです。
年齢に応じた大人の関与
このように、3歳くらいまでの適切な発達を礎として、次に「何に対して情報探索しているか」をうかがい、支援していくことになります。
就学前や小学生の時期は特に、親が「良質なコンテンツ」「アクセス方法」「体験」について関与していくことが望ましいです。
大人の感覚でいう「暇つぶし」としてデジタルデバイスを与えることについて、私は「有害」であるとしています。幼児期ほどの認知発達の目覚ましさがないとはいえ、発達期における情報探索は非常に重要であり、この時期にある「関心」「意欲」を「体験」や「獲得」につなげていくには、無駄にできる時間はありません。むしろ、圧倒的に足りないくらいです。
デジタルと体験をセットにする
子どもの関心を広げるために、休日に博物館や観劇,コンサートに出かけると行ったこともありますし、親子○○教室などに参加することもあるでしょう。地域行事に参加することもあるでしょう。あるいは、学校で学習したことを一緒に試してみるといったこともあるでしょう。
子どもが実現したいことを一緒に見つけたり、子ども自身が高めている関心にあうものの中から良質なデジタルコンテンツを探してきて一緒に視聴したりすることが大事になります。
今のデジタルデバイスはあらゆることが一つのデバイスで実現してしまうので、与えっぱなしになると「何に使っているかがわからない」という方もいらっしゃいます。アプリ名ではなく、「何のために使っているか」という視点で把握して支援していくことが大切です。
デジタルの可能性を引き出すには
デジタルと体験のセットというのは、デジタルアートも含まれます。ショート動画を運営側のアルゴリズムに支配されてひたすら時間を奪われていくといった情報消費全振りは、不健康であると誰もが言うでしょう。
それに対して、たとえばこれまでは高額なピアノを買い与えられる音楽一家やお金持ちでないと家にはなかったものが、アプリでピアノが弾けるようになったり、特別な知識がないとできなかった作曲がアプリとアプリの支援で実現できたりします。アプリの使い方や、出来上がる作品のモデルとなるものを、YouTubeなどで学ぶこともできます。
こういったことは、昔にはなかった大きなアドバンテージです。子どもの能力を大きく伸ばすことに貢献しています。
問題は「時間」ではなく「意図と関与」
デジタルデバイスを与えるか与えないか、時間を制限するかしないかといったことではないのです。何のために、どのように扱うかです。そして、これには、発達に合わせた大人の適切な関与が不可欠です。
冒頭の「YouTubeやTikTokを一日中観てしまう。時間制限していますか?」は、まず大人たちに問いかけるものです。それだけデジタルサービスは、みなさんの時間を支配するような強力なアルゴリズムが構築されています。
デジタルコンテンツへのアクセスや距離感は、何より親が一番のモデルになっています。大人は精神衛生のために暇つぶしに情報消費することだってあります。テレビでただバラエティ番組を見てゲラゲラ笑う時間だって必要です。そういったときは、「疲れたときに気分転換するため」であることを伝えたり、そして終わり方をしっかり見せたりすることが大事です。
まとめ:子どもとデジタルをめぐる本質的な視点
- デジタルとの関わりで大事なのは「時間制限」よりも「関与の質」
- 発達段階に応じた環境設定と支援が不可欠
- 「情報消費」だけでなく、「体験」「創造」「共有」をセットに
- 親自身が使い方の範を示すことが大切
時間制限の是非という表面的な議論から一歩踏み出して、子どもたちの豊かな発達と創造的な生活のために、私たち大人がどう関わっていくかを問い直すきっかけになればと願っています。


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