はじめに
私は、仕事で子どもたちを呼ぶときは基本的に「名前」で呼ぶようにしています。
理由は2つあって、一つは親が大事につけたその子への愛の形だからです。名前はかぶることもありますし、親によっては「はやり」でつけるという方もいらっしゃるでしょう。キラキラネーム問題のごく一部として「親の所有物」のようなつけ方をされることもあるかもしれません。でも、それは教師にはわかりません。こども本人が自分の名前を気に入っていない場合を除いて、私はその子を名前で呼びます。
もう一つの理由は、姓が現代的には公正さを欠いたり、子どもにとってコンプレックスになったりしやすいからです。今、国会では選択的夫婦別姓の議論がなされています。未決着ポイントの一つに「子どもの姓を、婚姻時に決めるか、出生時に決めるか」というものがあります。どちらにしても、子どもには選ぶ権利はないのです。これは「名前を決める」ときに夫婦で考え話し合うことに似ていると思います。しかしながら、姓は名前よりも厄介な面があります。親が離婚した際、日本でもおおよそ海外でも子どもの姓は出生時のもののままです。変更する場合は「子どもの意思」を確認の上、家庭裁判所に申請することになります。これは「ありがた迷惑」でもあります。子どもにとって姓の選択意義は「親との絆」という心情面と「偏見を免れる手段」という現実面が考えられます。どちらかの親との絆を断つ決断を子どもにさせたり、途中で姓が変わることや親と違う姓を名乗ることが偏見のおそれを抱かせたりしてしまいます。「自分の意思で決められるからよい」なんてことはないと私は思います。
姓は“家”か“個人”か? 社会的記号としての歴史と今
今は一般的に名前を書くところに「氏名欄」があります。古代律令制からすると「氏」と「姓」は別の意味で、氏(うじ)は血縁一族の集団の名前で、姓(かばね)は地位・役職などを表す称号名だと習いました。今は氏と姓を特に区別している感じはありませんね。江戸時代の苗字帯刀で庶民にも少し苗字が与えられ、明治時代に「平民苗字必称義務令」によって国民が名字をもつようになりました。
外国でも、背景はいろいろですが、多くは同じような記号でした。スミス(鍛冶屋)テイラー(仕立て屋)などは有名ですが、職業が姓になるものもありましたし、地名などもありました。
今の日本にとって「姓」は名字と同義です。その姓について「社会的な地位」という意義を感じている一族もいますし、多くの国民にとっては「血縁一族の識別記号」という意味だけをもっているものでもあります。
都市部や若年層の多くはリベラルなので、「良家出身」よりは人格やキャリアが評価の対象になっています。姓をどのように名乗るかについては「不都合がないかどうか」という思考が強いと言えます。
地方や年配層では、社会的地位を表す一族としての「誇り」や、血縁関係を表す「絆」のように姓を大事に考える人が多いです。
価値観だけで言うならば、人それぞれですから、「選択的夫婦別姓」はその名の通り「選択自由」であって「別姓義務」ではないので、制度化の流れは自然に思います。
今の“姓”、あなたにとって何ですか?
冒頭私は仕事で子どもたちを名前で呼んでいると話しましたが、同僚の先生方に対してはこの限りではありません。名前は個人の尊厳であると同時に、やや「プライペート」さをもちます。仕事で相手を呼ぶときに「名字」や「肩書き」を使うことはソーシャルディスタンスを保ついわばマナーでもあります。顧客に対しても、敬意を示すために名字を使うのが日本では一般常識です。
となれば、やはり「姓」は、「名」とは別の意味で自分のアイデンティティとして大事にしなくてはならないものでしょう。であれば、「選択的」であるよりも「婚姻後も原則別姓」の方が妥当であると言えます。「良家へ嫁ぐ」という価値観は非常に古いでしょうし、ものすごく一部の方にしか当てはまらない理屈です。
先進国で夫婦別姓の制度が残っているのは日本だけというのはよく言われます。海外に倣う必要があるわけではなく、日本は日本の文化を大事にするのがよいのはいうまでもありません。ですが、この制度を「文化」と捉えるのか「倫理」と捉えるのかで見え方が全然ちがうのです。議論されているのは、文化ではなく倫理問題だからです。
ダブルネームで解決? 子どもの姓の新しいかたち
「相手の姓になりたい」という思いを抱く方は、まさに「絆」としての意義を強くもたれているのでしょう。一部の方は「自分の名字が嫌いだった」という理由もあるかもしれません。なんてったって自分ではどうにもできませんから。あとは良家に入るというのもあるのでしょう。
その他にも、「子どもが生まれたらどうしたらいいかわからない」というのもあるでしょう。
海外では複合姓(ダブルネーム)を採用している国もあります。婚姻時に相手の姓も加えることができたり、子どもは両親の姓を名乗ったりするものです。ダブルネーム同士が結婚した人の子どもは、それぞれから一つずつとったダブルネームになったりします。
ややこしそうに感じられるかもしれませんが、これなら子どもの姓の問題はすっきり解決します。
姓の自由は番号制度とセットで考えよう
以上のような「姓」のとらえから、海外では姓に対する自由度がどんどん高まっています。それは同時に社会的な身分証明とか、法的な識別記号としての意味がなくなってきているといえます。
国によっては、夫婦別姓だけでなく複合姓、そしてさらには「創作姓」が認めらてきています。創作姓は、「親から与えられた名前」以上に、自分のアイデンティティをつくっていくことができるでしょう。キラキラ姓とか出てくるんでしょうね。一族や親とのつながりを離脱したい人にとっては、悲願の制度です。
日本で「選択的夫婦別姓」を難しくしているのは、依然として法的識別手段を戸籍制度としているからです。マイナンバーカードがようやっと普及してきているものの、「国民感情」からマイナンバーは戸籍とは切り離されて管理されています。
個人識別管理手段をマイナンバーと切り離した戸籍にしている以上は、選択的夫婦別姓も「役所の人の仕事を増やす」だけでなく、社会的にも様々な場面で困ったことがおきます。
マイナンバーカードの運用に関しては、未だに信頼度が低いですね。日本人はとても疑り深く慎重なのでしょう。そういった「国民性」があるので、国会でもなかなか話がまとまっていかないわけですが、心情面だけでない「運用面」の議論をもっと前面に出して考えていけないかなあと、私は思ってしまいます。
雰囲気だけで話し合いをながめ、「価値観を広く認めていきましょう」という意味合いだけで進めていくのは、本当の意味で豊かで暮らしやすい日本にはならないでしょう。姓の自由は、法的識別制度の見直しとセットでなければ機能しません。
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