「道徳的非難」より「予防と支援」

闘病生活

 私は病院でぼけーっとしているだけなので、詳しいことは知りませんが、早速「指導」が通達されているようで、「指導」の読み上げのほか、各学校職員総出で隠しカメラがないかの点検をしたり、セクハラ防止研修をしたりしたようです。

 起きてしまった事件については、もう2つも記事にしましたので、対応や防止策のことではなく、性被害を減らすために社会としては、他にどういった視点と取り組みが必要だろうかということを考えていきたいと思います。

 「悪意」とは、一般的には相手を貶めようとする意志があることを指しますよね。(法律語ではちがうそうです)

 考えたのです。変態は「悪意」があるのか。それとも精神疾患なのかと。

 繰り返すようですが、起きてしまった個別の事件については、一切考察しません。

 そこで、改めて「パラフィリア」について調べ直すことにしたんです。

 大学の時に精神分析学とか精神病理学とかをほんの少し、本当に少しだけ独学したのち、心理学に関心があったものの生命科学の方に興味が傾いてしまったので、私の精神疾患に対する捉えはどちらかというと現代の精神医学的なものに近いんだと思います。脳内物質をどうコントロールするかみたいなお薬処方が先にきて、その上での認知行動療法などがくるのかなって思っています。知識はざるすぎて全然なものですから、調べながら考えをまとめていくことにします。

 パラフィリアとは、性倒錯とも呼ばれ、性的興奮の対象が一般的なものから逸脱しており、他人に苦痛を与える状態をいいます。小児性愛や窃視(相手に同意なく性的なものをのぞきみること。盗撮はこれにあたると言える)、露出、フェティシズムなどがあります。フェティシズムはパラフィリアの中の一つです。

 イギリス・ドイツ・アメリカなど海外には、「犯罪者になってしまう前に自制の支援をする」取り組みがありますが、日本には性加害に至る前の段階で相談できる公的な安全地帯がほぼありません

 本人が困っており、他人に危害を及ぼしそうで、社会生活に支障をきたしている場合は、パラフィリア障害として診断されることになるようです(DSM-5)。「本人が困っているかどうか」をどのように評価するかは難しいところがあるかもしれませんが、まずは逸脱した性嗜好を自認した人が、「安全に」治療に向かっていける仕組みを作ることが、日本でもすべきことなのではないでしょうか。

 パラフィリア障害は、性欲の方向性が社会規範とはずれていますが、犯行には計画性・隠蔽性があるため責任能力があり、「心神喪失」とされることはなく、しっかりと司法で裁かれます。そして法律の改正もあって厳罰化の様相です。また、性犯罪に対する社会的非難はものすごく大きく、周囲の理解や支援が必要な「再発防止プログラム」が機能できない社会になっています。

 パラフィリア障害は、ほとんどが思春期以前に発症するとされています。発症要因は確定的ではなく、偶然特定の物や状況と性的興奮が結びついて強化されてしまうような「条件付け説」や、自己の性不安や去勢不安を対象に投影・置き換えることでコントロール可能な対象にする「心理的防衛機制説」、安定した愛着形成ができなかったことや、親の性的な言動が過度に抑圧的・不適切だった場合など「愛着や育成環境の影響」など、多因子的であるとされています。

 こういう心理状態は、外的な抑圧によって強化されることも大いにあるため、社会的な抑圧が高まるほどに逸脱した性的嗜好を隠蔽しよう(だけどどこかで吐き出さないと)という心理が強化されていく可能性があります。

 精神疾患に限ったことではありませんが、早期発見・早期治療が何より回復や社会復帰につながります。まだ一度も犯罪に至っていなければ、どうにか支援の手がさしのべられるのではないでしょうか

 同性愛をカミングアウトするのだってものすごい大変なのは、周囲も社会もそれを許さないという雰囲気に満ちているからですよね。パラフィリアはさらにこれを自分から相談するというのは難しいでしょう。ですから、周囲というよりむしろ秘匿性の高いヘルプ電話などが必要でしょう。

 また、パラフィリアと社会の相容れなさについて、早期に自認して周囲が助けていくものだということを啓発していくことも大事だと思います。

 性的嗜好を明確に自認している人は、それほど多くないだろうというのが私の勝手な感覚です。「普通」とされるのは、プライベートゾーンで隠れている部分に性的な興奮があるのであって、それ以外に「嗜好」と言われて、果たしてそれが皆にあるのか疑問です。

 蛇足ですが、「私〜フェチなの」なんて、友人とフランクに話すことができる現代ですが、人に害を及ぼさず、自分も他人も困らない性嗜好と、フェティシズムとは、スペクトラム的に連続しているというよりも「病理性があるか否か」という点で明確に峻別すべきものです。

 部位や香り、しぐさ、様々あろうかと思いますが、自分も他人も困らないようなものでも性的嗜好を持っている人は一定数いますが、これを誰かに知らせなくてはいけないとか、知られてしまうといったことは、おかしいのですね。またそれをどれかに決めなくてはいけないなんてこともあるはずがありません。

 あくまでも、治療へと誘わなければならないのは、「自分や他人が困ることになり、社会生活に支障がある」人です。

 性被害者を減らすために、性加害者を生まないための取り組みについて、社会が動き出していくことも、大事な方向性ではないでしょうか。

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