意識高い“系”じゃ解決しない

教育

 横浜市立学校はほとんど2学期制ですのでピンとこなかったのですが、SNSではすっかり「成績表」トレンド入りしているようです。

 3学期制の学校の教員のみなさん、おつかれさまでした。成績表作成の業務ってものすごく大きな負担ですよね。そのわりに今の小学校の絶対評価の3段階ってほとんどが「B」になるから、「こんなもんもらって子どもの励みになるんだろうか」「親も自分が子どもの頃の評価観とくらべて納得しないだろうな」などと思うでしょうし、だからこそ「割に合わない仕事だな」と感じるでしょう。

 教員だから、子どもと喜びを分かち合いたくて仕事してます。日頃いろいろな言葉で評価して、励まして、ときには一緒にくやしがったりしていますが、あの無味乾燥な成績表を渡すとき、子どもの遠い目を見るとやりきれない思いをもったりするものです。

 さて、労いはここまでにして。SNSの話。

 保護者アカから「子どもの成績に納得がいかない」ような投稿がたくさん寄せられています。

 納得がいかない場合、今一度「学校からは成績の見方についてどのような説明があったか」を確認してもらいたいわけですが、その上で学校に問い合わせをしてみればよいと思います。SNSで「もやもや」が解決することはないと思うからです。

 私は学校広報の研究をさせていただいていた関係で、全国の教員の方と知り合いになることができました。それまでは学習指導要領に書いてあることや、文科省の教育課程審議会などの話題、横浜市教育委員会主催の研修会や教育課程研究会などの情報から「今の教育のあるべき姿」を理解し、実践してきたつもりです。国の方針なんだから、全国津々浦々、同じような教育活動が展開されていると思っていたんです。

 でも、全国の教員の方とお話しをする中で、地方によって全然ちがうということがよく分かりました。そして、同じ市内であっても、おとなりの学校ですら全然ちがうこともあるということが分かってきました。

 言い方難しいんですけれど、横浜市って「意識高い」というか、意識高い“系”なんだと思うんですね。生まれも育ちも横浜の私が、自分の生きる都市をディスりたいわけじゃないんですけれど、なんか「そとづらはいいよね」ってところもいろいろとあるなって思うところです。

 その血はしっかり生まれも育ちも横浜の私の中にも脈々と流れているというか・・・、あ、こんな表現すると他の横浜市民に申し訳ないですね。私だけの問題かもしれません。

 SNSで特に多く見られたのは「どのテストもほぼ100点なのに、B評価だった」とか「主体的に取り組む態度だけBばっかり」といったものです。

 それに対して「実際にはどのような評価をしているか」ということをコメントすることはできるのですが、正直言って、その保護者の方のお子さんが通われている学校・担任が、「今の教育観・評価観に基づいて評価しているか」どうかは分からないのです。なので、解決にはならないんですよね。

 保護者にとっては「へえ〜、そうやって評価しているんだ。」と思うかもしれませんが、本当にそうやって評価されているかは分かりませんし、事実、他の教員アカから的外れな前時代的評価観のリプがついてもいます。

 こういうリプを見たときに「え、今どき何言ってんの?」って思っちゃうところが、意識高い“系”の面倒なところです。私はスレ主さんを納得させることも安心させることもできないし、リプつけてた教師の評価を否定することもできません。だって、「かくあるべき」があったとしても、それぞれにそれぞれの場で生きている現実があるんですから。

 学校っていわばほとんど全ての人が「自分が経験してきた」場なんです。ですからどうしても自分の過去の学校生活像をあてはめてしまうんです。過去の学校生活像と、今の学校の現実が擦り合わさっていけばよいのですが、学校は自らの広報が苦手で、メディアが報道する非日常に印象がもっていかれてしまうという大きな課題があります。

 職人のように、「黙っていい仕事してりゃ、いいもんだって分かる」なんていう時代じゃないんですよ。どんなに多くの教員がまじめに働いたって、変態教師野郎が出てきたらみんな変な目で見られるようになるんです。しつこいようですが、これに対抗する方法は、学校自身がメディアをもつこと、保護者・地域に理解と信頼が得られるような積極的な広報をすることなんです。(広報はアピールではないです。パブリックリレーションです。)

 小学校の絶対評価の3段階について、学校側の評価に対するスタンスと、保護者の方がとらえている評価観がちがうところから、なかなか説明しても説明しても納得が得られないことはあります。

 小学校は中学校とはちがって「受験」のための成績はつけないというはっきりしたスタンスがあります。ですから、多分中学受験のための塾の先生などは、それぞれの小学校の先生のことをいろいろリサーチして傾向と対策を練っているようです。本来「主体的に取り組む態度」は資質として養うものですから、それに対してテクニックで教えられてしまうというのは、教員としては方腹いたいところではありますが(笑)、塾の先生は結果にコミットする使命がありますからそれを否定はしません。

 小学校の場合、授業の目標を達成したものが「B」になります。したがって、毎時間まじめにしっかり取り組んでやること全てやって、先生から「よくできているね」と褒められていて「B」なんです。

 ただ、Bのスケールが広すぎるんですね。「目標達成に個別の支援を要する」「支援をしても目標達成になかなか至らない」状態がCだと捉えていただくと分かりますが、できているものもあればできていないものもある、あるいは限りなく自力達成が無理だけどできる場合もあるくらいでも「B」がつくことがあるんですね。つまり、ほとんどの子がBなんです。

 そして分かりにくいA評価なんですけれど、小学校教員からしてみると「目標をしっかり達成したB」が目指すべきところなので、「A」を目指せみたいなことを求めていないんです。「A」は、基本的には「求められている以上のパフォーマンス」がいつも発揮されている状態につくものです。

 たとえばルーブリックを作成する際に、数値化することもあります(中学以降はほぼ数値化していると思います)。一つの学習課題に対して、一つの問題解決の方法を見つけ、解決するとともに説明ができている状態をBとしたときに、二つ以上それをやってのけているものにAをつけるといったことです。

 各教科様々な単元がありますよね。算数では「式と計算」と「図形」などはかなりジャンルが違いますし、理科でも自然科学と物理学などジャンルが違います。子どもにはそれぞれ関心の向くところも違いますし、得意不得意も違います。特に好きなことにのめりこんで追究しているとその単元はAになることだってもちろんあります。でも、学期における全ての単元においてAでなければ成績表にはAはつかないんです。これが観点別評価や資質・能力別評価のデメリットです。

 小学校で学習する内容については、たしかにどの教科のどの単元も一般教養として修めていくのが理想です。ですが、どの教科のどの単元も究めるなんて、鼻血が出そうじゃないですか?

 したがって、Aを目指そうとして、完璧になるまで詰め込むことは、皮肉なことになりますが学校の授業だけでは難しいです。そして、それを目指してやらせればやらせるほど「主体的に取り組む態度」はBに向かいます。

 難関中学受験をするお子さんの保護者の方は、だいたい小学校の成績についてとやかく言いません。おそらくですが、「勉強が好きでたまらない」という子育てをずっとし続けてきていらっしゃったり、勉強が大好きになる塾に通わせるといった学習機会の増進をされていたり、あらゆる分野に興味関心がいくように休日に文化的な場所へ足を運んだりイベントに親子で参加したりしているからだと思います。学校の限界を理解しているということでもあるのだと思います。

 成績表を渡す前に、懇談会や個人面談などで保護者の方にていねいに説明することが大事ではありますが、個人的にはずーっと「学期末にもらう成績の効果的な利用方法がほとんどない」と思っていて、単元ごとに評価を返していったらいいのにーって言い続けています(保護者にではないですよ)。

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