読書感想文コンクールを任意に

教育

 近年、だいぶ任意になってきているようではありますが、どういうわけだか、全国的に公立学校では「読書感想文全国コンクール」に強制参加させられます。私はこれにアンチなんです。

主催者を否定するつもりはない

 世の中にはたくさんのコンクールがあります。賞をとるというのは、嬉しいことですし励みにもなります。ときに競争の中に身をおいて、勝つためにはどのような練習をしたらよいか、どのようなパフォーマンスが求められるかを分析したり勉強したりして取り組むことは、自分の能力の向上にもつながります。

 ただ、このコンクールの趣旨や条件に照らし合わせたときに、「本当に全国の子どもたちが皆参加すべきものなのか」ということには異論があります。

電子書籍はNG

 電子書籍で読んだものは応募できないのです。公式HPのQ&Aに明記されています。これは開催趣旨とはちがう趣旨を疑わざるを得ません。電子書籍リーダーは本とはみなされない理由はどこにあるのでしょうか。

 応募は課題図書でも自由図書でも構わないことになっていますが、全国の書店に「課題図書」は山積みされ、各学校でも必ず購入します。仕事柄、毎年課題図書は読みますし、すぐれた作品であることはまちがいないと感じていますが、「全国の学校がコンクールに参加する」ことによって特定の書籍がものすごい売り上げになるというのはちょっとどうなんだろうと思ってしまうのです。

 青空文庫など、優れた文学作品はたくさんあります。でも、紙媒体で読まないと、というか「本」という形で読まないといけないというのは、今の時代においていったい何に固執しているのだろうと思ってしまうわけです。私だって本のすばらしさは分かっています。主催者が「作品のすばらしさ」ではなく「本のすばらしさ」を感じてほしいと思うのはべつに構いませんが、今の時代の生活スタイルの中では「特異」である(作品への多様なアクセスを拒絶している点において)応募条件のものに、全国の学校が賛同し続けるというのはいかがなものでしょうか。

 「課題」図書というネーミングも、違和感があります。コンクールにおいて課題があることに何の異議もありませんが、課題図書部門と自由図書部門には分かれていないんですね。であれば「今年の推薦図書」ではだめなのかなあと。「課題」に対して集まった作品に対する分析とか、結果の公表や広報は特に行われないので、どうして「課題」というのかが不明なのです。

応募要項とカリキュラムが合わない

 しつこいようですが、コンクールに応募要項があって、書式や字数などに条件があるのは当たり前のことです。ただ、全国の学校で取り組むわりに、特に小学校低学年においては求められる条件が、学校の教育課程にはあわないんですね。

 小学校低学年では、800字以内が条件となっています。では400字でもよいのかというとそうではなく、実際には8割以上のような条件があります。1年生の子どもは400字詰めではなく、だいたい200字詰め程度の作文用紙を使います。原稿用紙4枚を書くなんてことは、考えられないんですね、学校の教育課程では。

 1年生の夏休み前ですと、やっと平仮名の学習をおえたくらいで、2〜3文程度のお手紙や観察記録などを、教師の示した文例にそって書く程度です。

 また、今の学習指導要領における国語の言語活動はさまざまで、どの学年も「読書感想文」を書く単元があるわけではありません。図鑑作りだとかリーフレット、新聞、随筆などもそうですし、読書単元においても「読書会」「紹介文」「帯づくり」などが多いです。

 そんな理由から、「読書感想文の指導はしないのに、夏休みの宿題に出す」というわけのわからない状況が多くの学校で起きています。

読書ぎらい、感想文ぎらいを多く生んできた

 作文指導は、かなり地道で時間のかかるものです。書きたいことのアイディア出し、構成要素の分類と構成、意味段落ごとの文章下書き、文章表現の学習と見直し、作文規則に則った作文、校正と清書、評価など、手順も多く、ていねいな指導だけではなく最後までがんばりぬけるような伴走が必要です。

 それが、ろくに指導もないし、ましてや伴走もできない夏休み期間に書くなんて、「ほとんど親が作った自由研究」みたいな熱心な保護者の関与がないとなかなかうまくいきません。

 これまで多くの方と交流する中で、過去の学生時代の読書感想文がトラウマになっている方がたくさんいらっしゃることが分かっています。私自身は作文が好きでしたが、読書感想文はあまり好きではなかった記憶です。

 コンクールの存在が、というとちがうとは思うのですが(これほど全国の学校で半ば強制的に行われていると特別な利権関係を邪推してしまう)、これによってコンクール趣旨とは「逆効果」も生まれているという現実は見逃すわけにはいかないと思うのです。

学校がきっぱり判断したらいい

 勤務する学校では、近年ようやく読書感想文コンクールのための「夏休みの読書感想文の宿題」はやめました。夏休み前に必ず課題図書のブックトークなどを行い、感想文の書き方指導を行い、その上で「読書感想文」の宿題を出しています。あるいは、学年に応じた「紹介文」「帯」「ポップ」などと同列で示し、選択肢の一つとして出すようにしています。

 これによって、県主催とか他の新聞社主催の読書感想文コンクールに応募する子も出るようになりました。読書感想文全国コンクールに出したいなどの場合は、どのような条件があるのか応募要項を紹介するようにしています。

 これで勤務校では解決したようにも見えますが、「各クラス1点、コンクールには出品すること」のようなしばりがあった時代もありましたし、今さらにゆるやかにしてやっと「学校で何点」というかたちになった状況でして、学校から出品することが任意という段階まではきていません。横浜市の場合は学校審査、区の審査、市の審査と進んでいくことになっていて、市の審査はちょっと知らないのですが、少なくとも区の審査までは教員が審査することになっています。なんだかおかしな話だな〜って思います。公益社団法人全国学校図書館協議会と毎日新聞社が主催なのに、動員されている感じがして。

 勤務する学校には、国語指導のすばらしい先生がいて、その方の善意で審査の仕方の研修までしてくれています。3校目にして初めてでしたし、こういう環境が他の学校でどこでもあるわけではないと思います。

 他自治体でも、だいぶ「任意」が進むようになってきたようです。この決断はやはり学校が(教育委員会が?)していかなければならないでしょうね。

 最後にしつこいようですが、コンクールそのものを否定はしていません。が、なんの便宜もはかられていないとはいえ(利害がないとはいえ)、半ば強制に参加するコンクールについては、教育課程と照らし合わせながら見直しをしていくべきではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました