下手にでてりゃいいってのか

教育

今日は、先日見かけたSNS投稿から考えたことを書きます。例によって特定の個人を非難する意図はないので、ケーススタディとして投稿やコメントの文面は変えています。

「元教員」属性アカウントの方の投稿でした。

<スレ主の投稿>
「うちの子、迷惑ばかりかけていませんか?」と言う親の子ほど何も問題なく、「うちの子は全然悪くありません!」って言う親の子ほど問題があることが多かったなあ。

<寄せられたコメント>
・めっちゃ分かる。ほとんどそれ。
・親が家でかけている言葉がそのまま。しつけされている子は迷惑かけない。
・希望の面談でも、問題ある子の親ほど希望してこない。
・問題児の親は、学校外ではその場にいない親や先生の悪口ばっかり言ってますよ。
・私も必ず「いつもご迷惑おかけしてすみません」から話し始めています。
・いえいえ、本当にうちの子迷惑かけていて。先生にはいつも感謝しています。

 共感旋風が吹き荒れていました。スレ主の方がどんな意図でこのような投稿をされたのかは分かりませんが、コメントを寄せてきた方々は教員属性と保護者属性が半々くらいでした。共感ならば教員属性が大半を占めそうな感じですが、保護者属性からも「そういう家庭に、うちの子は迷惑こうむっている」「そういう親、いるいる」というものが寄せられていて驚きました。

 共感の背景には、共通して想像される場面があるのだと推測します。おそらく、やんちゃなどしてクラスの他の子が迷惑に感じているような光景ではないかと。

 スレ主の方へのコメント欄が共感であふれているということは、事実の一側面として受け止めるべきものがあるといえるでしょう。ただ、この事象を正しく批判するなら、他の場面やこのケースに当たらないものも提示してみる必要があります。 そうでないと、「バカ親の子はバカ」「教師にはへつらっておくが吉」みたいなひどい論調になってしまいかねないと思うのです。

 私はこの投稿をみて何を感じたかということですが、「迷惑とは何か」「問題とは何か」というところに目が行きました。また、 誰に対する迷惑か、誰の問題か、といったことも。

 教員に対して迷惑をかけているとイメージしている人と、クラスの他の子に対して迷惑をかけているとイメージしている人がいます。

 教員に対しての「迷惑」って一体なんなのでしょうか。そんなものがあるかしら、と私は思ってしまいます。「悩ましい」ことはたくさんありますけれど、それはとっても大事な仕事なんですよね。悩ませてもらうことにこそ、教師冥利があったりもします。子どものとる行動で私に不利益があるというのは、ちょっと考えにくいことです。例えば暴言暴力のような行為があるのであれば、それは「迷惑」では片付けられないでしょう。ただし、次の「問題」にかかっていくことです。

 誰の「問題」かという点は、一層深刻なことです。「問題」の多くは子どもの「困り」です。

 子ども本人がちっとも困っていなくって、やんちゃしていて、クラスの他の子がたいそう不利益を被っているという事象は、確かに「迷惑」であって、大きな問題です。これが、多くの方がイメージされた光景でしょう。

 この場合、子どもの問題としては「困りに無自覚である」ということです。落ち着く環境が必要であったり、指示の明確化が必要であったり、あるいはソーシャルスキルトレーニングが必要であったりします。いずれにしても教員にはやるべきことがあります。そして(家庭事情はいろいろとありますので、そこには言及すべきでないし、言及しません)毎日ハッピーに帰っていけば、保護者の方は問題に気付けないでしょうし、また子ども本人が問題をとらえていないのに教員から叱られだけして帰れば、そりゃ保護者の方は「どういうことだ!」となってもおかしくはありません。「先生が叱ったのだから、きっと何かあったに違いない」とだけ考えるのだとしたらそれは聖職神話が真実だということになりますが、それを要求することよりも、教員が説明することが大事でしょう。家で子どもに「どういうこと?」と詰問していっても要領を得ないことは多々あります。

 状況と指導したことを共有していく中で、「支援すべきこと」を一緒に考えていくこと。その積み重ねがなければ、教員側がモンスターペアレンツを生むことに加担しているとも言えなくないと私は思います。

 「本当に何度話しても全くの無理解で、無理難題を要求し続けてくるというホンモノがいる」というのは、世の中の全ての保護者の方も知っておいてよいとは思いますが、「うちの子は何も悪くない」「うちの子はいつも迷惑かけている」の二者択一のような中で前者だったらモンペ扱いされてしまうんだったらおそろしすぎます。

 先のようなお子さんの例であっても、「無自覚的な困り」についての説明をしていくと、通常はまず保護者の方の「困り(悩み)」になります。子育てに悩みはつきませんが、子どもが学校生活の中で問題行動を起こしているとなると、自分にはどうすることもできなくてつい「ご迷惑おかけしてすみませんが、どうぞよろしくお願いします。」と言葉が出てしまいます。

 あまりないと言いたいところですが、教員側の言いっ放しでは、保護者の方の「困り」はだんだん「鬱積」へと変化していきます。

 投稿に寄せられたコメントでイメージされているものでないケースではどうでしょうか。

 無自覚でない、すなわち子ども本人が自覚的な「問題」とは、それは困りです。解決してあげる、解決に寄り添うのは教員の使命です。

 対人関係でうまくいかないとか、身辺自立が不十分だとか、集団(のテンション)に馴染めないとか、勉強がよくわからないとか、先生の指示が理解できないとか、子どもはいろいろなことで悩みます。

 こういった場合、保護者の方が「全然知らなかった」ということの方がめずらしいです。学校で一生懸命その子のことを気にかけているつもりでも、クラスに30人も子どもがいればどうしたって心をおける時間や割合に限界があります。でも保護者の方にとってみれば我が子ひとりのことですから、それはそれは気を揉んでいらっしゃいます。「うちの子、そんなこと全然ありません!」なんて返ってくることはまずありません。

 いかがでしたでしょうか。「あるある」みたいなネタだと、つい「ごく稀なケース」であっても経験があれば「あった」になるでしょうから、共感がつくこともあろうかと思います。ですが、私としては「うちの子は全然悪くありません!」とおっしゃる保護者の方を即ホンモノ扱いしてしまうのはちがうだろうと思うのであります。(スレ主の方はその先を書いているわけではないので、「だから元教員ってのは無責任だ」と断じているわけではありません)

 最後に、改めて保護者属性(私もだけど)の方に向けて発したいメッセージ。それは、

  • 一緒に悩みながら、子どもの困りの解消を支えていきましょう
  • 一緒に、子どもの成長の喜びを分かち合いましょう
  • なんだ?と思うことがあれば、遠慮なく学校に連絡ください

です。できればここに「言葉には節度をもって」と入れたいけれど、当たり前のことをいうと偉そうに聞こえるし、それに我が子のことになるとときに「う〜(怒)」となることあるし。

 ちなみに一番多いのは「いつもお世話になっています」ですかね。お互いに。

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